...一番親しくしたは二葉亭の易簀(えきさく)当時暹羅(シャム)公使をしていた西源四郎と陸軍大尉で早世した永見松太郎の二人であった...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...そのために、飛行島株式会社というのが出来て、南シナ海をとりまく諸国――つまり英国が主となり、仏国、米国、オランダ、暹羅(シャム)、中国の諸国を表面上の株主として、莫大な建造費を出しているのだった...
海野十三 「浮かぶ飛行島」
...庄造だつてもつと美しい波斯(ぺるしゃ)猫だの暹羅(しゃむ)猫だのを知つてゐるが...
谷崎潤一郎 「猫と庄造と二人のをんな」
...日印の弟子の日順日暹の越中に布教したのも皆此順路によつたものと見える...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...モナコの模擬貨幣(ジュットン)が暹(シャム)語を知ってるはずはありません...
久生十蘭 「ノンシャラン道中記」
...現に今でも暹羅では上國王より下庶民に至るまで一度はお寺に這入つて僧侶の生活をしなければならぬことになつて居る...
松本文三郎 「世界に於ける印度」
...高初暹(かうしよせん)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...馬来(マレイ)や暹羅(シャム)の方では中国人も此の頃ではなかなか困難になって来ております...
横光利一 「上海」
...哈爾賓採木公司の深澤暹氏などと乗合せた...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...李司馬の甥の李暹(りせん)という男は...
吉川英治 「三国志」
...李の甥に、李暹(りせん)、李別(りべつ)という者がある...
吉川英治 「三国志」
...李暹(りせん)を一刀のもとに斬り落し...
吉川英治 「三国志」
...韓暹(かんせん)の兵だった...
吉川英治 「三国志」
...第六軍の将たる韓暹(かんせん)は...
吉川英治 「三国志」
...きっと韓暹を説きつけてみせます...
吉川英治 「三国志」
...取次からそれを聞いた大将の韓暹(かんせん)である...
吉川英治 「三国志」
...共に合図をおとり召されては如何」「合図をとれとは?」韓暹は...
吉川英治 「三国志」
...前線の味方を攪乱(かくらん)した韓暹(かんせん)...
吉川英治 「三国志」
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