...八十九歳の高齡で易簀された...
心猿 「桜もち」
...ツイ昨年易簀(えきさく)した洋画界の羅馬(ローマ)法王たる黒田清輝(くろだせいき)や好事(こうず)の聞え高い前の暹羅(シャム)公使の松方正作(まつかたしょうさく)の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた...
内田魯庵 「淡島椿岳」
...息の通う間は一行でも余計に書残したいというほど元気旺勃(おうぼつ)としていた精力家の易簀(えきさく)は希望に輝く青年の死を哀(かなし)むと同様な限りない恨事である...
内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
...昨年の春易簀(えきさく)した杉浦天台道士もまた寄書家の一人であったが...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...去年の春終(つい)に大杉の跡を追って易簀(えきさく)した...
内田魯庵 「最後の大杉」
...その時代の沼南の消息は易簀(えきさく)当時多くの新聞に伝えられた...
内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
...韜晦(とうかい)して終(つい)に天涯の一覊客として興津(おきつ)の逆旅(げきりょ)に易簀(えきさく)したが...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...一番親しくしたは二葉亭の易簀(えきさく)当時暹羅(シャム)公使をしていた西源四郎と陸軍大尉で早世した永見松太郎の二人であった...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...五年前に不遇の中に易簀(えきさく)してしまったが...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...この三山も今では易簀(えきさく)してしまったが...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...忽焉易簀(こうえんえきさく)せられたのは惜しみてもなお余りがある...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...尾張中将斉朝(なりとも)の市谷門外の上屋敷が其易簀(えきさく)の所であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此日菅茶山は神辺(かんなべ)にあつて易簀(えきさく)したのであつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...山陽の易簀(えきさく)するに及んで...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...頼山陽の易簀前後に水西荘に寓してゐた関五郎とが...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」柏軒易簀(えきさく)の処は夷川(えびすがは)の玉屋伊兵衛の家であつただらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...易簀(えきさく)の日に至るまで牀辺を離れなかつたことも亦同じである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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