...また明和七年に長崎に赴いた際には...
石原純 「平賀源内」
...時代は明和とも天明とも云ふが確かでないとある...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...生年も安永七年でなく明和五年となつてくる...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...しかして明和(めいわ)二年に至り...
永井荷風 「浮世絵の鑑賞」
...春信ら明和時代の画家の描ける縁側...
永井荷風 「江戸芸術論」
...二色摺紅絵の発明者と称せらるる西村重長の門人鈴木春信は石川豊信鳥居清満と相伍(あいご)して多年三色摺の経験を積みしが、明和二年に至り、板木師(はんぎし)金六(きんろく)なる者をして遂に見当摺(けんとうずり)と称して、各色(かくしょく)に従ひ板木を別々にするの法を取らしめたり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...鈴木春信は明和年代において柱絵を流行せしめたる画家なり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...翌明和三年の制作を見るに背景は漸く複雑となり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...『絵本舞台扇』及びその続編は春章並(ならび)に同時代の画工一筆斎文調(いっぴつさいぶんちょう)の合作せるものにして明和安永における江戸大坂両都の俳優を一覧するの便あり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...蜀山人始め寝惚(ねぼけ)先生と号して狂詩集を梓行(しこう)せしは明和四年十九歳の時にしてその先輩平秩東作平賀鳩渓(ひらがきゅうけい)らと始めて相知れり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...神田明神前にささやかな水茶屋を営んで居る仁兵衛(じんべえ)の娘お駒、国貞(くにさだ)の一枚絵に描かれたほどの美しさで、享保明和の昔の、お仙(せん)お藤(ふじ)にも優るだろうと言われた評判娘が、何(ど)んな廻り合せで懇意になったものか、金座(きんざ)の後藤三右衛門(ごとうさんえもん)に仕われて、草履(ぞうり)を直したり、庭の草まで(むし)って居る、潮吹(ひょっとこ)の権次という三下野郎と、不思議に馬が合うのでした...
野村胡堂 「黄金を浴びる女」
......
牧野富太郎 「植物一日一題」
...一、古人の俳句を読まんとならば総じて元禄(げんろく)、明和(めいわ)、安永(あんえい)、天明(てんめい)の俳書を可とす...
正岡子規 「俳諧大要」
...父伊予守正右(まさすけ)が明和六年七月十二日宿老の職にゐて卒したので...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...推するに明和安永の間の事であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...とうとう明和三年まで十四年間勤めた...
森鴎外 「じいさんばあさん」
...壽阿彌の父は明和五六年の交に於ける水戸家の當主でなくてはならない...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...また明和(めいわ)の大海嘯(おおつなみ)の後に...
柳田国男 「海上の道」
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