...今より九百四十年あまりのむかし寛平昌泰(くわんひやうしやうたい)の年間(ころ)作りたる文字の吟味をしたる書(しよ)也...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...(御年十三)年号を昌泰(しやうたい)と改元す...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...○去年とは昌泰(しやうたい)三年なり(延喜元年の一年まへ)其年の九月十三夜...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...昌泰四年の正月にその政敵を陥(おとしい)れることに成功してからは...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...此の浄蔵と云う僧は、昌泰三年の昔、菅公がまだ右大臣として時平と昇進を競っていた頃、「離朱(りしゆ)の明も睫上(せふじやう)の塵を視る能(あた)はず、仲尼(ちゆうぢ)の智も篋中(けふちゆう)の物を知る能はず云々」の句のある一書を菅公に呈して、明年必ず公に禍の及ぶであろうことを告げ、早く官を退いて保身の術を講ずべきことを諷(ふう)した文章博士(もんじょうはかせ)三善清行の第八子で、母は弘仁天皇の孫女であった...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...それで昌泰といふ年號が延喜に改元されたのですが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
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