...青木昆陽が長崎を訪れて良固らと洋書解禁のことを圖つた云々は...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...語學といふものも白石、昆陽以來、江戸その他において有力な洋學者があらはれて「蘭學事始」のごときことが起らなかつたらば、それは貿易の必要上、ほんの通詞らの特殊技能以上のものとはならなかつたか知れない...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周(ほしゅう)、杉田斎(いさい)等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋(せっさ)し、おのおの得るところありといえども、洋学草昧(そうまい)の世なれば、書籍(しょじゃく)はなはだ乏(とぼ)しく、かつ、これを学ぶに師友なければ、遠く長崎の訳官についてその疑を叩(た)たき、たまたま和蘭人に逢わばその実を質(ただ)せり...
福沢諭吉 「慶応義塾の記」
...摂津の昆陽池(こやのいけ)の片目鮒(かためふな)で...
柳田國男 「日本の伝説」
...残りの魚の肉を昆陽池に放して見ると...
柳田國男 「日本の伝説」
...兵庫県川辺(かわべ)郡稲野村昆陽)またある説では行基は三十七歳の年に...
柳田國男 「日本の伝説」
...行基の昆陽池の話よりも...
柳田國男 「日本の伝説」
...昆陽寺夜話(こやでらやわ)一松千代が成敗(せいばい)されたことは...
吉川英治 「黒田如水」
...昆陽寺(こやでら)の坊んさんが来ていますよ...
吉川英治 「黒田如水」
...昆陽寺の和尚はつねにその場所と便宜(べんぎ)とをこの人々のために与えてくれていた...
吉川英治 「黒田如水」
...ははは」「……旦那」「何じゃ」「昆陽寺へ戻(もど)れと仰っしゃる理由は?」「わからんか...
吉川英治 「黒田如水」
...男(おとこ)の慟哭(どうこく)一児屋郷(こやごう)の昆陽寺(こやでら)には...
吉川英治 「黒田如水」
...一党が昆陽寺に結集して...
吉川英治 「黒田如水」
...命あればこやの軒ばの月も見つ又いかならむ行く末の空昆陽(こや)を出でさせ給ひて...
吉川英治 「私本太平記」
...昆陽(こや)の宿におはしますほど...
吉川英治 「私本太平記」
...摂津昆陽野(こやの)の代官を管理する身となってから賜わったいわゆる「在京公務所」だった...
吉川英治 「私本太平記」
...摂津の昆陽野(こやの)(伊丹(いたみ))から馬をとばして来て...
吉川英治 「私本太平記」
...昆陽野(こやの)のあたりからは夜どおしの雨風に打たれ...
吉川英治 「私本太平記」
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