...日蓮宗に至りては其東國的宗教であること甚明瞭なもので、其傳播の著るしい地方と云へば、關東の八ヶ國に、駿、甲、豆の三國を加へたものであつて、遠江に入ると、其跡甚急に薄くなる、而して此東國地方に於ては文永の末から正應の末にかけての二十年間を以て最活動の盛な時期とするのであるけれども、其以後とても此範圍内に於ては、殆ど弛みなく其活動を持續して、以て鎌倉の末に達して居る、而して此地方に主として盡力した僧侶は宗祖の日蓮を第一とし、日昭、日朗、日頂、日向、日興、日持、日位、日辨、日朗の弟子日像、日善、日像の弟子日源等である...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...即日蓮の直弟子では日辨が磐城に同日興が陸中まで...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...日蓮宗では日蓮の直弟子日辨日目共に奧州に入り、日興に至つては、今の陸中迄深入りして布教したといふ傳説になつて居る...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...最近果して日興は...
久生十蘭 「魔都」
...鶴見組は日興の傘下に在る...
久生十蘭 「魔都」
...競争者たる日興に奪われる羽目になるので...
久生十蘭 「魔都」
...それは何かためにするところある日興の仕業ではないかという疑念は...
久生十蘭 「魔都」
...殊に日興の傘下にある関東土木倶楽部の一方の旗頭...
久生十蘭 「魔都」
...林謹直の林コンツェルンと小口翼の日興コンツェルンが...
久生十蘭 「魔都」
...皇帝を誘拐したのはやはり日興の仕業なのだと思う外はない...
久生十蘭 「魔都」
...払込資本三億円の小口翼の日興コンツェルン...
久生十蘭 「魔都」
...皇帝を誘拐したのは実は日興コンツェルンの一味なる鶴見組の仕業だという疑念を捨てることが出来なかった...
久生十蘭 「魔都」
...しぜん毎日興行(こうぎょう)の場所をも変(か)えなければならなかった...
マロ Malot 楠山正雄訳 「家なき子」
...「星池秦其馨、書法遒逸、名声日興、旧嘗遊崎陽、私淑呉人胡兆新、遂能伝其訣、独喜使羊毫筆」と五山堂詩話に見えてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万治元戊戌年(つちのえいぬのとし)十二月二日興津弥五右衛門華押(かおう)皆々様この擬書(ぎしょ)は翁草(おきなぐさ)に拠って作ったのであるが...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...偶然にも当日興行される大天才ポー原作の『二重心臓』に用いられている物凄いトリックは...
夢野久作 「二重心臓」
......
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...その冬、六代目が、青梅町の小屋へ、一日興行で來た...
吉川英治 「折々の記」
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