...誰も群とか環とか場とかヴェクトルとかいう術語を日常語から出発して説明出来るとは思わないに違いない(但し数などは之と趣を異にしている)...
戸坂潤 「空間概念の分析」
...故に把握は所謂理解に較べてより根柢的な理解を意味する(常に日常語としてであることを再び注意しよう)...
戸坂潤 「空間概念の分析」
...術語として普通通用している概念を捨てて特に日常語としての所謂「概念」を紛らわしくも概念と呼ばねばならない理由が何処にあるのか...
戸坂潤 「空間概念の分析」
...従って日常語と専門語...
戸坂潤 「空間概念の分析」
...併し両者は何れも日常語(常識的概念)であると同時に専門語(専門的概念)であり得た...
戸坂潤 「空間概念の分析」
...日常語と哲学用語とで同じ言葉の意味が全く別な無関係なものになるとしたら...
戸坂潤 「クリティシズムと認識論との関係」
...哲学に於ては術語と日常語との間には...
戸坂潤 「思想としての文学」
...どんな術語でもその地盤である日常語と不離の関係に結局は基いている...
戸坂潤 「思想としての文学」
...出来るならば術語による表象を日常語による表象といつも連絡づけることが望ましいので...
戸坂潤 「思想としての文学」
...術語は何時までも日常語と表象上の直接的な連絡を保っていなくては...
戸坂潤 「思想としての文学」
...もし万一術語が日常語の表象から独立して勝手な自分独自の表象を持って来るようになると...
戸坂潤 「思想としての文学」
...ただ日常語はこの常識語を極めて常識的に無責任に利き目を計量しないで凡庸に習慣的に濫用するだけであって...
戸坂潤 「思想としての文学」
...哲学術語が日常語...
戸坂潤 「思想としての文学」
...そこでは日常語と哲学的術語(実は翻訳術語だが)とが癒合していない結果...
戸坂潤 「思想としての文学」
...今日日常語として使えばセクト的な印象しか与えない...
戸坂潤 「認識論とは何か」
...殆んど完全に日常語となっている...
戸坂潤 「認識論とは何か」
...日常語の殆んど半ばがまったく除外されてしまったため...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogolj(Николай Васильевич Гоголь) 平井肇訳 「死せる魂」
...うつら病む春くれがたやわが母は薬に琴を弾けよと云へど薬に琴を弾くといふ云ひ方は日常語では誰でも使ふが...
平野萬里 「晶子鑑賞」
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