...秦の始皇は方士に命じてこれを探しめた...
魯迅 井上紅梅訳 「不周山」
...方士が仙山を探し当てないで...
魯迅 井上紅梅訳 「不周山」
...ジァン・ボダン「方士鬼に憑(つ)かるる事」羹(あつもの)を吸ふもの十二人...
ルイ・ベルトラン Louis Bertrand 上田敏訳 「サバトの門立」
...禍(まが)の方士(はうし)の鬚(ひげ)である藻草(もぐさ)の下(した)...
上田敏 上田敏訳 「牧羊神」
...附記 伊賀越の仇討は、荒木方四人、又五郎方士分、小者ともで、合せて十一人と、藤堂家の公文書「累世記事」にも残っているし、その外俗書にも、同じであるが、一竜斎貞山(二代目)が、附人を三十六人にして、これが当って以来、すっかり、この方が一般的になってしまった...
直木三十五 「寛永武道鑑」
...それまでに己(おのれ)の絶対に尊信する方士どもに幾度か欺(あざむ)かれていた...
中島敦 「李陵」
...方士たちの手によって歪曲され...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...方士たちが、不死の霊薬を得んとして、各地に神仙を索めたのは、秦皇漢武の時代から盛んになったので、張道陵よりも、四百年も以前のことである...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...武帝が方士を諸国に派遣して神仙を索めたことも(西紀前一三三年)...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...そこでは方士などという特異な人間の活躍も...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...フランス国大砲方士官陸軍建築方アントアン――の見込を聞いていただきたい...
服部之総 「黒田清隆の方針」
...軽快ないでたちをした運用方士官が水夫を連れて甲板を急ぐのであった...
本庄陸男 「石狩川」
...会計方士官たちの戻るのを待っている...
本庄陸男 「石狩川」
...件(くだん)の若者方士が示した広い沢へ往くと...
南方熊楠 「十二支考」
...支那の方士が旗剣符訣等を用うると異なり...
南方熊楠 「十二支考」
...シャーマーン(方士)となる修業至ってむつかしく...
南方熊楠 「十二支考」
...切り取って方士に売る...
南方熊楠 「十二支考」
...ヴェニス人プラガジニは有名な方士で...
南方熊楠 「十二支考」
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