...天文永禄(てんぶんえいろく)あたりから知られている家柄だ...
中里介山 「大菩薩峠」
...文永の昔、胆吹の弥三郎という山賊がこの山の頂上に腰をかけて、琵琶湖の水で足を洗いました、その時に湖水を取りひろげようとして土を運びましたが、その土の畚(もっこ)の中からの落ちこぼれが、あの竹生島(ちくぶじま)や、沖ノ島になって残っているのだそうです...
中里介山 「大菩薩峠」
...天文永禄のころ毛利氏に亡された尼子浪人が...
中村憲吉 「三次の鵜飼」
...いわゆる文永の役...
中谷宇吉郎 「雑記」
...最初即ち文永の役として知られているのは、文永十一年に、対馬を経て攻めてきたのであって、この時は、我が軍が大変ひどく敗北したのだそうである...
中谷宇吉郎 「雑記」
...しかし文永の役の時は...
中谷宇吉郎 「雑記」
...ありがたし――文永八年五月七日(今から六百六十四年前)に...
長谷川時雨 「尼たちへの消息」
...星野博士は其治承四年ヨリ文永三年ニ至ルマテ凡八十七年間鎌倉幕府ノ日記ナリ編者ノ姓名傳ハラサルモ其幕府ノ吏人ナルハ疑ナシと云はれたれども余は寧ろ林道春の東鑑考に東鏡未詳撰...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...東國に於て文永弘安の交其活動の盛を極めたのであるが...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...而して此東國地方に於ては文永の末から正應の末にかけての二十年間を以て最活動の盛な時期とするのであるけれども...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...文永元年十月の鎌倉將軍宗尊親王の下知状に當時の執權が連署したものである...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...「摂津国西成郡舳淵荘盛福寺鐘文永十一年甲戌四月九日鋳...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...中宮寺にうつされ文永年間信如尼によって修補が行われた...
矢田津世子 「※[#「やまいだれ+句」、第4水準2-81-44]女抄録」
...そこで文永十一年に元軍は壱岐(いき)対馬(つしま)へ来寇し実力を見せてから又しても杜世忠ら五人の使者をもって臣従を迫った...
山本周五郎 「新潮記」
...稗史小説も追い追い明治物が新刊され、幼稚な石版画のボール表紙も目新しく、安物の兎屋本を始め、大川屋、辻岡、文永閣、共隆社、鶴声堂あたりの出版元から発兌(はつだ)の新板小説がようやく流行、洋紙本の荷も重く、同時に草双紙や読み本のお好みも減って、背取りの貸本屋はボツボツ引退、代って居付きの貸本店が殖え、三十年前後まで市中諸所に貸本の看板、まだ大衆娯楽の少なかった時代、退屈凌ぎはこれに限ると一時は貸本大当り...
山本笑月 「明治世相百話」
...十二年に京橋弥左衛門町の文永閣から出版...
山本笑月 「明治世相百話」
...そして文永四年の八十二歳まで生き...
吉川英治 「随筆 新平家」
...天文永禄の頃といえば...
吉川英治 「宮本武蔵」
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