...(後の板もあり)さて和名抄ありて后五百年ちかくをへて文安年中下学集(かがくしふ)といふ字書(じしよ)ありき...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...文安のころありしものにて...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...三文安の十五文を看板にして...
中里介山 「大菩薩峠」
...そうそう三文安の先生もあることだから...
中里介山 「大菩薩峠」
...江戸表に於ては三文安の喬庵(きょうあん)を押立て...
中里介山 「大菩薩峠」
...然らば此陸運はどうであつたかと云ふに、彼の北畠顯信が義良親王を奉じて、伊勢から海路陸奧に赴かむとした事によつても、鎌倉末足利の初に既に斯かる航路の開かれて居つたことが分るし、又日本海廻りの航路に就いては、永享文安の頃、奧州十三湊の豪族安倍康季が、後花園院の勅命によつて、若州小濱の羽賀寺を再建したといふ、羽賀寺縁起の記事、若州の武田氏が北海道に渡つたとの傳説等によりて、鎌倉以來依然として、絶えずあることを知る事が出來る...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...つまり十二文でなみのところより四文安いが...
村井政善 「蕎麦の味と食い方問題」
...京都の地へも文安から宝徳のころに...
柳田国男 「山の人生」
...文安六年五月から六月までの...
柳田国男 「雪国の春」
...末っ子は三文安いというが...
山本周五郎 「末っ子」
...私は末っ子で三文安いかもしれないが...
山本周五郎 「末っ子」
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