...但しその頃(ころ)も既に多少の文名ありしかば...
芥川龍之介 「わが俳諧修業」
...國民英學會にも學びてめざまし新聞中央新聞等に記者となり朝報社に入りて文名大に揚る...
石川啄木 「日本無政府主義者陰謀事件經過及び附帶現象」
...文名の齎(もた)らし来る収入はというといくばくもなかったので...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...文名の籍甚(せきじん)に乗じて文壇に躍(おど)り出すでもなく...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...こんな具合でしたから芥川の手紙を特に保存してあつた事も芥川の文名に影響された譯では無く...
小穴隆一 「二つの繪」
...この男は、よわい既に不惑(ふわく)を越え、文名やや高く、可憐無邪気の恋物語をも創り、市井(しせい)婦女子をうっとりさせて、汚れない清潔の性格のように思われている様子でありますが、内心はなかなか、そんなものではなかったのです...
太宰治 「女の決闘」
...文名、日、一日と御隆盛、要(い)らぬお世辞と言われても、少々くらいの御叱正(しっせい)には、おどろきませぬ...
太宰治 「虚構の春」
...私が東京に於いて或るほんの一時期、これでも多少、まあ、わずかな人たちのあいだで、問題にされた事もあったと、まあ、言って言えない事もないと思いますが、しかし、その問題にされ方が、如何(いか)に私がダメな男であるか、おそらくは日本で何人と数えられるほどダメな男ではなかろうか、という事に就いて問題にされたのでありまして、その頃、私の代表作と言われていた詩集の題は、「われ、あまりに愚かしければ、詐欺師(さぎし)もかえって銭(ぜに)を与う」というのでありまして、之(これ)を以(もっ)てみても、私の文名たるや、それは尊敬の対象では無く、呆れられ笑われ、また極めて少数の情深い人たちからは、なぐさめられ、いたわられ、わずかに呼吸しているという性質のものであったという事がおわかりでございましょう...
太宰治 「男女同権」
...文名さえも一向に挙らず...
太宰治 「服装に就いて」
...文名隆々たる頃だった...
豊島与志雄 「十一谷義三郎を語る」
...この事を小説につづりて文名を世界に馳(は)せしめき...
永井荷風 「矢立のちび筆」
...されば成功して文名を博し得ても...
永井荷風 「来訪者」
...多少の文名があったのを...
野村胡堂 「奇談クラブ〔戦後版〕」
...一葉という文名嘖々(さくさく)と登る以前にも...
長谷川時雨 「樋口一葉」
...文名とを合せればたいしたものだと己惚(うぬぼれ)たのであろう...
長谷川時雨 「樋口一葉」
...文名身後に伝はり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...すなわち公文名(くもんみょう)である...
柳田國男 「地名の研究」
...既にして君の文名は朋友の間に喧伝(けんでん)せり...
山路愛山 「北村透谷君」
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