...堂内に木像並に宋丞相信国公文公之神位なるものを安置す...
芥川龍之介 「北京日記抄」
...そしてたつた今朱文公に会つた帰(かへ)り途(みち)だといふやうな生真面目な顔をして...
薄田泣菫 「茶話」
...秦文公終南山の梓樹を伐りしに...
高木敏雄 「比較神話学」
...伊藤博文公夫人が公の愛用のシガーのバンドをたくさんに集めて...
寺田寅彦 「柿の種」
...その上孟子の滕文公篇に記載した水脈...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...晉の文公といふのは當時の覇者であります...
内藤湖南 「大阪の町人學者富永仲基」
...然しながら孟子滕文公篇に舜のことを書いて古書を引いたらしく思はれる文があつて...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...(大正十年三月發行「支那學」第壹卷第七號)自注(一)孟子縢文公上に決汝漢排淮泗而注之江とあり...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...「文公、六助、久太――又惡戯(わるさ)か...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「文公、六助、久太――また悪戯(わるさ)か...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...前掲した博文公との話でもかつて石谷華堤さんに話したら公との情話らしく扱われてまことに困ったなどと大真面目で語っていたことを思う時...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...文公か」九郎右衛門はこれだけ聞いて...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...伊藤さんは博文公の御二男である...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...弔伊藤博文公遭難遣迹少年曽侍浪滄閣...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...初めて世に出た晋(しん)の文公は――すなわちそのむかしの重耳であったのです...
吉川英治 「三国志」
...忙裏 山我(ワレ)ヲ看(ミ)ル閑中 我山ヲ看ル相看(アヒミ)レド相似ルニアラズ忙ハ総(スベ)テ閑ニ及バズという戴文公(たいぶんこう)の詩であった...
吉川英治 「宮本武蔵」
...滕文公(とうぶんこう)下)右の孔子の語が『論語』に存せぬことはもちろんである...
和辻哲郎 「孔子」
...曾子の反対を受けた(滕文公上)...
和辻哲郎 「孔子」
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