...もう一つの政所のはうは三浦氏に潔くおゆづりになつたはうが御賢明かと思ひますが...
太宰治 「右大臣実朝」
...右大臣政所始の御儀式を行はせられ...
太宰治 「右大臣実朝」
...北の政所(まんどころ)より仰せられ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...十九月輪殿北政所(つきのわどののきたのまんどころ)も同じように法然を信じて念仏往生のことを尋ねられたが...
中里介山 「法然行伝」
...試(こころ)みに中央政所を潰すより外(ほか)に妙策はなかろう...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...古くは政所(まどころ)ともいったものである...
柳田國男 「地名の研究」
...「あしかが政所(まんどころ)」とも...
吉川英治 「私本太平記」
...政所(まんどころ)にて...
吉川英治 「私本太平記」
...政所(まんどころ)の灯もあかつきを知らなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...黒沼彦四郎伴清がまず政所ノ状をとりだして読みきかせ...
吉川英治 「私本太平記」
...「脇屋殿!政所(まんどころ)の徴税の令は...
吉川英治 「私本太平記」
...後にやがて子が太閤(たいこう)となったときは大政所(おおまんどころ)とあがめられたひとである...
吉川英治 「新書太閤記」
...夫人の政所(まんどころ)(寧子(ねね))からも公認されていることだが...
吉川英治 「新書太閤記」
...足利政所(あしかがまんどころ)の転訛(てんか)ではなかろうか...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...北の政所(まんどころ)もあるかなしかのように...
吉川英治 「日本名婦伝」
...北の政所は、「ひとりで慰むのも、花に勿体ない心地がする」と、茶会を思い立って、利休(りきゅう)の娘で、鵙屋(もずや)の妻となっていたお吟(ぎん)を召しよせて、趣好を相談した...
吉川英治 「日本名婦伝」
...九太閤の母、大政所は、八十歳を一期(ご)として、聚楽(じゅらく)で亡くなった...
吉川英治 「日本名婦伝」
...北の政所は、大坂城を退いて、京都の高台寺の峰に、一寺を建てて、ひとり清らかに住んでいた...
吉川英治 「日本名婦伝」
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