...御当家攻口(せめくち)の一番乗と名告り...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...十五年二月廿二日御当家御攻口(おんせめくち)にて...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...「攻口を取っている敵はそこだけか」「搦手(からめて)は山...
吉川英治 「新書太閤記」
...「よし」と、谷大膳は、以後、時期攻口など、万端ぬかりなく諜(しめ)しあわせて、或る夜、尖兵(せんぺい)一千余人、中村五郎の手引のもとに、三木川の対岸の崖からよじのぼり、首尾よく城壁のうちへ送りこんだ...
吉川英治 「新書太閤記」
...諸所の攻口へ伝えしめる...
吉川英治 「新書太閤記」
...これは、そこにあった藤田伝五と並河掃部(かもん)の両部隊が、攻口を争って、混み合って来たため、その機先(きせん)を制した反撃であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...局限されている攻口なので...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索