...お寺には持仏堂が必ずある...
...持仏堂は仏像を安置する重要な建物です...
...持仏堂には多くの信仰の人々がお参りに訪れます...
...コロナ禍により、持仏堂の観光客の減少が懸念されています...
...このお寺には、江戸時代に建てられた由緒ある持仏堂があります...
...庭の持仏堂へいってみないでは...
江戸川乱歩 「超人ニコラ」
...廿二日、丙申、御持仏堂に於て、聖徳太子の聖霊会を行はる、荘厳房以下、請僧七人と云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...そのとしの六月二十二日にも御持仏堂に於いて...
太宰治 「右大臣実朝」
...将軍家の御持仏堂の御本尊...
太宰治 「右大臣実朝」
...姶めて御本尊を御持仏堂に安置す...
太宰治 「右大臣実朝」
...彼女は大垣の町から自動車で二三十分も田舎道を行ったこと、ほんとうに淋(さび)しい村落の、県道らしい往還の道端から折れて奥深い生垣(いけがき)の径(こみち)を行った突きあたりに門構えのその家があったこと、近所にはほんの五六軒の佗(わ)びしい百姓家があるだけであったが、関ヶ原の役(えき)以来と云う菅野の家は宏荘(こうそう)な一郭を成していて、持仏堂の堂宇が、中庭を隔てて母屋と棟を並べていたこと、苔(こけ)蒸した泉石の彼方(かなた)に裏庭の菜園がつづいており、秋に行った時にはそこの栗(くり)の樹に栗が沢山実(な)っていたのを、小女(こおんな)たちが枝に登って落してくれたこと、御馳走(ごちそう)と云っては手料理の野菜が主であったけれども、それが大変おいしく、味噌汁(みそしる)の身に入れてあった小芋と、煮付けの蓮根(れんこん)が殊(こと)に美味であったこと、などを覚えているのであるが、義兄の姉に当るその家の女主人が、今では未亡人になっていて、気軽な身分でもあるせいか、幸子の次の妹の雪子が未だに結婚もせずにいる噂(うわさ)を耳にし、何とか良い縁を見付けて上げたいと云っているのだと云うことは、かねがね聞いていないでもなかった...
谷崎潤一郎 「細雪」
...その後また訪ねた時に法然は持仏堂にいて四郎は大床に伺候して云うことに...
中里介山 「法然行伝」
...有名な無信心者がどういう気で持仏堂など建てたのか...
久生十蘭 「無月物語」
...持仏堂が出来たら...
山本周五郎 「おばな沢」
...持仏堂(じぶつどう)にはいって...
吉川英治 「新書太閤記」
...――と持仏堂がある...
吉川英治 「新・水滸伝」
...新たに建て増した持仏堂と二つのせまい部屋とに...
吉川英治 「親鸞」
...彼女の坐っている持仏堂の外の縁まで来て...
吉川英治 「親鸞」
...持仏堂を立って行った縁には...
吉川英治 「親鸞」
...「……吉水(よしみず)の上人(しょうにん)には、はや今ごろは」善信は、持仏堂を出て、縁に立った...
吉川英治 「親鸞」
...――水をくれい」持仏堂を出てくると...
吉川英治 「源頼朝」
...われながら愚かしき猿楽を」云い捨てて持仏堂へ籠(こも)ってしまった...
吉川英治 「源頼朝」
...持仏堂へ案内した...
吉川英治 「源頼朝」
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