...鑑真は、西国三寺の一つである唐招提寺を創建しました...
...日本の肖像彫刻を考える時誰でもいちばん最初に頭に出て来るのは奈良朝に於ける唐招提寺の鑑真(がんじん)大和上の坐像であろう...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...裏手から唐招提寺の森のなかへはいっていった...
堀辰雄 「大和路・信濃路」
...既に真っ暗になりだしている唐招提寺の門を...
堀辰雄 「大和路・信濃路」
...開巻第一に、なく雲雀松風立てて落ちにけむ春の大和、唐招提寺の句だ...
横光利一 「欧洲紀行」
...唐招提寺の木彫に比べて見る...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...今度はまた西の方で唐招提寺(とうしょうだいじ)や西大寺(さいだいじ)や西隆寺(さいりゅうじ)などの造営がはじまる...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...招提寺の数多い建築にはおのおの数個の仏菩薩像が安置せられなくてはならなかった...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...ちょうど君の眼に映じた唐招提寺の景致が色調において matt であったように...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...唐招提寺で逢ったS氏が加わった...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...招提寺の金堂が「渾然としている」と言えるならば...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...建築では三月堂や唐招提寺に確かにあの気分のヴェエルがかかっていると思うが...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...だからその時は薬師寺も唐招提寺も法隆寺もすべて割愛して...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...大急ぎで薬師寺から唐招提寺へ行つた時に...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...唐招提寺の金堂の前に立つた時より数時間前にゆつくりと眺めて来た法隆寺の金堂だつてさうである...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...さういふ本尊があつてこそ初めて唐招提寺金堂を拡大し重層化したやうな大仏殿が天平時代の結晶としての意義を発揮して来るであらう...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...かういふことを考へざるを得ないやうな刺戟を唐招提寺の金堂はわたくしに与へたのであつたが...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...今はこの御陵と唐招提寺との間に電車線路が通じてゐるが...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...及び大仏殿前大燈籠の浮き彫りや唐招提寺金堂(とうしょうだいじこんどう)の諸像が言わば成熟の極度における沈滞を思わせることを考え合わせれば...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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