...鑑真は、西国三寺の一つである唐招提寺を創建しました...
...奈良唐招提寺金堂ニ安置シ奉ル千手観音立像ガ四十臂ヲ有シ給フ事実ヲ指摘セラレタリ...
海野十三 「特許多腕人間方式」
...唐招提寺の諸像あたりから本当に使い始めたように思う...
高村光太郎 「回想録」
...唐招提寺の開山、鑑眞和尚は唐の名僧であつたが、日本へ來て戒律を傳へた...
内藤湖南 「平安朝時代の漢文學」
...もうそこがすぐ唐招提寺の森だ...
堀辰雄 「大和路・信濃路」
...既に真っ暗になりだしている唐招提寺の門を...
堀辰雄 「大和路・信濃路」
...もうそこに唐招提寺の森がある...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...その明るい所に唐招提寺があった...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...唐招提寺へは横の門からはいった...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...右のうち胡国人如宝は招提寺金堂の建築家と伝えられている...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...『招提千歳記』には彼は朝鮮人であって幼時より鑑真の門に入っていたとあるが...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...彼は招提寺の座主としてかなり活躍したらしい...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...唐招提寺の金堂を重層にして拡大したような...
和辻哲郎 「鎖国」
...がそれならば、次の日に見物した法隆寺、薬師寺、唐招提寺などは、その後たびたび見ているのであるから、最初の印象も薄れて行きそうなものであるが、実はそれとは逆で、非常に鮮かに覚えているのである...
和辻哲郎 「四十年前のエキスカージョン」
...だからその時は薬師寺も唐招提寺も法隆寺もすべて割愛して...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...薬師寺や唐招提寺の堂塔仏像に魂を打たれたのは何時であつたか...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...かういふことを考へざるを得ないやうな刺戟を唐招提寺の金堂はわたくしに与へたのであつたが...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...唐招提寺の金堂などを見たときに...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
...たとえば唐招提寺金堂のように...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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