例文・使い方一覧でみる「折にふれ」の意味


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...事につけ折にふれてその夢想が浮かんでくるのでした...   事につけ折にふれてその夢想が浮かんでくるのでしたの読み方
伊藤野枝 「成長が生んだ私の恋愛破綻」

...徳川の時代がさういふ女性を眞に生かし得なかつたのは遺憾な事と折にふれては私は考へるのである...   徳川の時代がさういふ女性を眞に生かし得なかつたのは遺憾な事と折にふれては私は考へるのであるの読み方
今井邦子 「伊那紀行」

...「歌を作つてゐると畫がかけない」とは折にふれてもらされた畫伯のお言葉であつたといふ...   「歌を作つてゐると畫がかけない」とは折にふれてもらされた畫伯のお言葉であつたといふの読み方
今井邦子 「雪解水」

...折にふれて支那の随筆小説を読んだ...   折にふれて支那の随筆小説を読んだの読み方
田中貢太郎 「『黒影集』の序詞」

...よいものだらうか――この疑問が事にふれ折にふれて私を苦しめる...   よいものだらうか――この疑問が事にふれ折にふれて私を苦しめるの読み方
種田山頭火 「其中日記」

...折にふれて書かれたものである...   折にふれて書かれたものであるの読み方
豊島与志雄 「随筆評論集「書かれざる作品」後記」

...折にふれて世の人に...   折にふれて世の人にの読み方
長谷川時雨 「明治美人伝」

...ゲーテは『唯一の永續力ある作品は折にふれての作品である...   ゲーテは『唯一の永續力ある作品は折にふれての作品であるの読み方
三木清 「歴史哲學」

...いく年かものにまぎれて筐底にひそみゐし舊詩二章、その心あわただしくその詞もとより拙きのみか、遠き日の情懷ははた囘顧するにものうけれども、この集の著者がなほけふの日の境涯をいささかまた歌ひえたるに肖たるを覺ゆ、すてがたければとどめて序にかへんとす――一點鐘二點鐘靜かだつた靜かな夜だつた時折りにはかに風が吹いたその風は そのまま遠くへ吹きすぎた一二瞬の後 いつそう靜かになつたさうして夜が更けたそんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……一時が鳴つた二時が鳴つた一世紀の半ばを生きた 顏の黄ばんだ老人の あの古い柱時計柱時計の夜半(やはん)の歌山の根の冬の旅籠(はたご)の噫あの一點鐘二點鐘その歌聲が私の耳に蘇生(よみがへ)るそのもの憂げな歌聲が私を呼ぶ私を招く庭の日影に莚を敷いて妻は子供と遊んでゐる風車(ふうしや)のまはる風車小屋――玩具(おもちや)の粉屋の窓口から砂の麺麭粉がこぼれ出る麺麭粉の砂の一匙を粉屋の屋根に落しこむくるくるまはれ風車(かざぐるま)……くるくるまはれ風車……卓上の百合の花心(くわしん)はしつとり汗にぬれてゐる私はそれをのぞきこむさうして私は 私の耳のそら耳に過ぎ去つた遠い季節の靜かな夜を聽いてゐる聽いてゐる噫あの一點鐘二點鐘木兎木兎(みみづく)が鳴いてゐるああまた木兎が鳴いてゐる古い歌聽きなれた昔の歌お前の歌を聽くために私は都にかへつてきたのか……さうだ私はいま私の心にさう答へる十年の月日がたつたその間に 私は何をしてきたか私のしてきたことといへばさて何だらう……一つ一つ 私は希望をうしなつたただそれだけ木兎が鳴いてゐるああまた木兎が鳴いてゐる昔の聲で昔の歌を歌つてゐるそれでは私も お前の眞似をするとしようすこしばかり歳をとつた この木兎もさ海六章ある橋上にて十日くもりてひと日見ゆ沖の小島はほのかなれいただきすこし傾きてあやふきさまにたたずめるはなだに暮るるをちかたにわが奧つきを見るごとし波沖にはいつも灰色の鴎の群れと白くくづれる波の穗がしらことわりやわれがうれひの絶ゆる日なきも貝殼昨夜(よべ)ひと夜やさしくあまい死の歌をうたつてゐた海しかしてここに殘されし今朝の沙上のこれら貝殼既に鴎は既に鴎は遠くどこかへ飛び去つた昨日の私の詩(うた)のやうに翼あるものはさいはひな……あとには海がのこされた今日の私の心のやうに何かぶつくさ呟いてゐる……この浦にこの浦にわれなくば誰かきかんこの夕(ゆふべ)この海のこゑこの浦にわれなくば誰かみんこの朝(あした)この艸のかげ重たげの夢重たげの夢はてしなくうつうつと眠るわたつみ的(てきれき)と花かぐはしく六月の柑子(かうじ)の山は柑子のなりにまどかなるつらなりてそをかこみたりかかる日もわれがうれひはとほき日のかたゆきたらん鴎どりああかの烈風のふきすさぶ砂丘の空にとぶ鴎沖べをわたる船もないさみしい浦のこの砂濱にとぶ鴎(かつて私も彼らのやうなものであつた)かぐろい波の起き伏しするああこのさみしい國のはて季節にはやい烈風にもまれもまれて何をもとめてとぶ鴎(かつて私も彼らのやうなものであつた)波は砂丘をゆるがしてあまたたび彼方にあがる潮煙り その轟きもやがてむなしく消えてゆく春まだき日をなく鴎(かつて私も彼らのやうなものであつた)ああこのさみしい海をもてあそび短い聲でなく鴎聲はたちまち烈風にとられてゆけどなほこの浦にたえだえに人の名を呼ぶ鴎どり(かつて私も彼らのやうなものであつた)夏艸こぞの夏この川べりをたそがれにゆけるひとありわれはこなたの艸にゐてほそき流れに絲をたれほどちかき海をききつつゆくりなきもの思ひせしこぞの夏この川べりをたそがれにゆけるひとありわれはまたこの夏艸にこの年もきてはすわりつ青き流れにこぞの日の小さき魚をつらんとすたそがれのこの川べりにまどかなる月はのぼれどこぞのそのかのたそがれの人かげはとめんすべなきこの朝このあしたかの島かげのさやかなる秋のきざしにおどろくはなにのこころぞゆける日を惜まんとして盲人(めしうど)のおきなさびわれものの音に耳をかたむくかのあした君がおん手にむすばれてもてあそばれし白砂をわれもむすべばうみ鳥のはるかによばふこゑならねその白砂のわが手にはうたひそめにし志おとろへし日はこころざしおとろへし日はいかにせましな手にふるき筆をとりもちあたらしき紙をくりのべとほき日のうたのひとふし情感のうせしなきがらしたためつかつは誦しつかかる日の日のくるるまでこころざしおとろへし日はいかにせましな冬の日の黄なるやちまたつつましく人住む小路(こうぢ)ゆきゆきてふと海を見つ波のこゑひびかふ卓に甘からぬ酒をふふみつかかる日の日のくるるまで梅さきぬ梅さきぬ高き梢に梅さきぬ朝日子(あさひこ)に花三四的と蕋(しべ)は黄に香はほのか梅さきぬこの朝はだら雪山にのこりて嶺(ね)をきらひ雲は横ふすこはしばし海鳴りやみて遠どほに大砲(おほづつ)の音さながらや人を呼ぶがにさながらや手をし拍つがに梅さきぬ南の枝に梅さきぬ高き梢にわが門のまらうどやこれたたずめる老い木ひともと夜半(よは)にして阿古屋のたまのかつ碎けかつむすびけんこの朝この木の枝に梅さきぬ高き梢に梅さきぬ南の枝に的と蕋は黄に花三四香はほのか梅さきぬ朝日子にいつしかにひさしわが旅たまくしげ函根の山のこなたなる足柄の山をさなき日うたにうたひしその山のふもとの出湯(でゆ)にゆくりなくわが來り臥す春の日をいく日(ひ)へにけむ朝な朝(さ)ななくきぎすはもけたたまし谷をとよもしはたたくや木もれ陽のうちつと見ればつまを率(ゐ)てかの澤ひとつわたりてあとはまたそこの欅のうれにありなしの風の聲のみわが旅のひさしきをあないつの日かわすれてゐしよひそかなるかかるおそれにかへり見るをちのしじまゆ驛遞の車のこゑす驛遞の車のこゑすあはれやな みじかかる命とは知れいつしかにひさしわが旅淺春偶語『物象詩集』の著者丸山薫君はわが二十餘年來の詩友なり、この日新著を贈られてこれを繙くに感慨はたもだす能はず、乃ち友よ われら二十年も詩(うた)を書いて已にわれらの生涯も こんなに年をとつてしまつた友よ 詩のさかえぬ國にあつてわれらながく貧しい詩を書きつづけた孤獨や失意や貧乏や 日々に消え去る空想やああながく われら二十年もそれをうたつたわれらは辛抱づよかつたさうしてわれらも年をとつたわれらの後に 今は何が殘されたか問ふをやめよ 今はまだ背後を顧みる時ではない悲哀と歎きで われらは已にいつぱいだそれは船を沈ませる このうへ積荷を重くするなわれら妙な時代に生きて妙な風に暮したものださうしてわれらの生涯も おひおひ日暮に近づいた友よ われら二十年も詩を書いて詩のなげきで年をとつた ではまた氣をつけたまへ 友よ 近ごろは酒もわるい!浮雲一片巓(いただき)のまろき山あり裸木の穗なみのうへにゆきなづむ浮雲一片たそがれは萬物の色たちまちにうつろふ時し轉瞬にかたちかへつつゆくとなくいゆく白雲かがよへる色もかげりて藍ふかき空に消(け)なんと消(け)ななんとして見ゆるかな風寒き客舍の窗にわれひとり榻(しぢ)に身をのべ肱つきて見つつありしがゆくりなく涙さしぐむ不覺やな涙おちにきいまははやおのれおぼえぬいにし日を戀ふとやすらん閑雅な午前ごらん まだこの枯木のままの高い欅の梢の方をその梢の細いこまかな小枝の網目の先々にもはやふつくらと季節のいのちは湧きあがつてまるで息をこらして靜かにしてゐる子供達の群れのやうにそのまだ眼にもとまらぬ小さな木の芽の群衆はお互に肱をつつきあつて 言葉のない彼らの言葉で何ごとか囁きかはしてゐる氣配春ははやそこの芝生に落ちかかる木洩れ陽の縞目模樣にもちらちらとして淺い水には蘆の芽がすくすくと鋭い角(つの)をのぞかせたながく悲しみに沈んだ者にも 春は希望のかへつてくる時新らしい勇氣や空想をもつて春はまた樂しい船出の帆布(ほぬの)を高くかかげる季節雲雀や燕もやがて遠い國からここにかへつてきて私たちの頭上に飛びかひ歌ふだらう菫 蒲公英 蕨や蕗や筍や 蝶や蜂 蛇や蜥蜴や青蛙やがて彼らも勢揃ひして 陽炎の松明(たいまつ)をたいて押寄せてくるああその旺んな春の兆しは四方(よも)に現れて眼に見えぬ霞のやうに棚引いてゐるのどかな午前どことも知れぬ方角の 遠い遙かな空の奧でないてゐる鴉の聲も二つなく靉靆として 夢のやうに 眞理のやうに白雲を肩にまとつた小山をめぐつて聞えてくるああげに季節のかういふのどかな時 かういふ閑雅な午前にあつて考へる――人生よ ながくそこにあれ!山上の鷄――ある旅先にて――山上に鳴く鷄よおおこの夜ふけにおおこの時刻外れに山上に鳴く鷄よ裸の樹木が顫へてゐるこの寒空にお前は何を呼んでゐるのかお前は何を祈つてゐるのか四方の山が眠つてゐるこの眞暗な谿の上に山上に鳴く鷄よお前は夢を見てゐるのだお前は夢に怯えてゐるのだ憐れな鷄よ憐れな山上の夢遊病者よお前は鷄冠(とさか)を顫はせて お前は胸を張つて鳴いてゐる鳴いてゐる 頭の上の闇を仰いで お前の寒い小屋の中で(お前は何を夢見てゐるのか) お前の古い棲り木の上でお前は鳴いてゐる 鳴いてゐるお前の主人も 主人の犬も寢てゐる時にお前の時刻でない時にお前は鳴いてゐるおおこの夜ふけにお前は一心に鳴いてゐるおおこの星の飛ぶ時刻にお前は鳴いてゐるああまだお前は鳴いてゐる鳴いてゐる この眞暗な谿の上に山上に鳴く鷄 深夜の智慧の歌ひ手よ!きそは冬犬二三霜ばしら蹴(く)えかなたなる木立をいでてこもごもに空をあふぎぬ羊雲かがよひとべる尾上には雪こそのこれ裸木はなほし芽ぶかねきそは冬けふははや春あはれよと見れば屎(まり)しぬ朴(ほほ)の木のしづ枝の鶲(ひたき)玻璃の外(と)に風はあらけれどこからか跳びし蟋蟀すすけたるくらき襖(ふすま)のしろがねの月夜をあゆむきそは冬けふははや春峽(かひ)をくるバスの遠音もおぼめきてきこゆる朝餉旅人もよべのうれひを忘らへて箸をこそとれ蕗の薹こはかぐはしきあつものの湯氣のけむりもきそは冬けふははや春家庭息子が學校へ上るので親父は毎日詩(うた)を書いた詩は帽子やランドセルや教科書やクレイヨンや小さな蝙蝠傘になつた四月一日櫻の花の咲く町を息子は母親につれられて古いお城の中にある國民學校第一年の入學式に出かけていつた靜かになつた家の中で親父は年とつた女中と二人久しぶりできくやうに鵯どりのなくのをきいてゐた海の鳴るのをきいてゐた獨樂ふるさとのふるき小箱にいくとせかものにまぎれてねむりゐしあはれこの獨樂くろがねの輪がねもゆるびいとけなかりしわが日ごろあそび手なれしとほき日はかたちよきものとおもひしそのすがたいまは魂うせておろかしく蹙(しじ)まりて見ゆしかすがにわれは忘れずげに夏ちかき夏ちかきかかる日のしづかなる木かげにありてわれは日もすがらこの獨樂をまはしてひとり遊びたりしを獨樂は日なたの土をうがちてそのかげしばしあきらかにわが足もとにしづまりぬあはれそはなにものかとほくさりゆく日のごとくいはけなきわらべごころのゆゑもなくえたへざりしがかくてまたわがこころひとにつぐべきすべもあらぬをかかる日のかかる木かげにわれはさとりそめにけんそのこころつひにかはらずいまもなほかかる日のげに夏ちかきかかる日のかくしづかなる木かげにはあれ風蕭々たのむべききはにもあらぬかりそめの宿とはおもへわが家といつかたのみてはるばるととほき旅路ゆかへりこしその夜もすがら松が枝に松が枝の風蕭々とふきこそわたれいねがての枕にかよふさねさし相模の小野に春もゆくころの潮さゐうばたまの闇をとよもすひとふしの海のうたごゑあなあはれなにをもとめてさまよひし旅路なりけんかつてわが耳になれにしそのこゑを夜をこめてきけ水聲そはこの身いまだ若き日よるべなき心ひとつをはこびつつあめつちは夏のさなかに越えゆきし天城山みちその谿のふかき底ひにこゑのみをききし水聲(すゐせい)そのこゑのなつかしきかな我れはかく垂老の日に心またかなしみにえたへじとしてふともそのかの瀬の音をそら耳のそらにききつつゆくりなく憂ひを消しぬゆゑいかにみづから知らず毀れた窓廢屋のこはれた窓から五月の海が見えてゐる硝子のない硝子戸越しにそいつが素的なまつ晝間だ波は一日ながれてゐるその額縁にポンポン船がやつてくる灰色の鴎もそこに集つて何かしばらく解けない謎を解いてゐるあとはまたなんにもない青い海だがそれがまた何とも妙に心にしみるぽつかり一つそんな時鯨がそこに浮いたつてよささうな鹽梅風にも見えるのだそれをぼんやり見てゐるとどういふものか俺の眼にはふと故郷の街がうかんできた古い石造建築のどうやら銀行らしいやつのくつきりとした日かげを俺が歩いてゐるまだ二十前の俺がそれから廣場をまた突切つてゆくのだああそれらの日ももうかへつては來なくなつた……そんな思出でもない思出が隨分しばらく俺の眼さきに浮んでゐたどういふ仕掛けの窓だらう何しろこいつは素的な窓だ丘の上の松の間の廢屋のこはれた窓から五月の海が見えてゐる謎の音樂春の日のうすら黄ばんだ沙の上に日もすがらしづかに囁いてゐる海どこまでも遠くはるかにひろがつたこのはてしない青い海原海とは何だらうそもそもこの眺望は小さな船を七つ八つ今しも遠くへつれてゆく海よこころよい不可思議解きがたい謎の音樂灰色の鴎――ある一つの運命について彼らいづこより來(こ)しやを知らず彼らまたいづこへ去るやを知らないかの灰色の鴎らも我らと異る仲間ではないいま五月の空はかくも青くいま日まはりの花は高く垣根に咲きいでた東してここに來(きた)る船あり西して遠く去る船ありいとけなき息子は沙上にはかなき城を築き父はこなたの陽炎に坐してものを思へり漁撈の網はとほく干され貨物列車は岬の鼻をめぐり走れりああ五月の空はかくも青くはた海は空よりもさらに青くたたへたりしかしてああ いぢらしきこれら生あるものの上にかの海風(かいふう)は 鰯雲は高く來(きた)るかな……しかしてああ げにわれらの運命もかの高きより來(きた)るかな……されば彼ら 日もすがらかしこに彼らの圓を描きされば彼ら 日もすがら彼らの謎を美しくせんとす彼らいづこより來(こ)しやを知らず彼らまたいづこへ去るやを知らないかの灰色の鴎らも我らと異る仲間ではない海四章馬車乘る人はなにを思ひてすずろかに馬車はゆくらん空青く雲白く窓なかば閉ぢしホテルのうら藪に啼ける山鳩海青く薔薇白く蝉紅(くれなゐ)のダーリアの花こぞありしそこの垣根に黄金なす日まはりの花こぞありしここの築地にさながらにその花咲けりこぞの夏かよひし小徑蝉もまたかなたの松に海青き林に鳴けり沙上山の端の雲は薔薇にくれなゐに燃えもはてたれなほしばしかぎろふ浦曲(うらわ)羽しろく砂をかすめてひとむれの千鳥はかなた黄昏にまぎれて啼けりそら耳のそらにはあらずそのこゑのありとしもなくゆきまどひはたと絶えたれ折からや月かげあはくなにものの飛沫なるらん旅人の頬にしづけりわが耳はわが耳は朝夕に海をききつつつたなくもかくわが世古りゆく夜地震す夜なゐす鷄鳴はるかに起り雨の聲甍を走れり夜なゐす陋居暗く閉ざし妻子みな階下に眠れりわれひとり半ば眼ざめて枕上にものを思ふに夜なゐす三たび夜なゐす三たび波の音かなたに呼ばひ夜の鳥こなたに應ふ秋立ちしかかる夜半に夢斷えて思ひはてなし行路難々々々 身はふれど世に鷄林口誦たくぶすま新羅の王の陵(みささぎ)に秋の日はいまうららかなりいづこにか鷄(とり)の聲はるかに聞えかなたなる農家に衣(きぬ)を擣つ音す路とほくこし旅びとはここに憩はん 芝艸はなほ緑なり綿の畑の綿の花小徑の奧に啼くいとど松の梢をわたる風艸をなびけてゆく小川うつらうつらと觀相の眼をしとづればつぎつぎに起りて消ゆるもののこゑひそまりつくす時しもや 蒼天ふかくはたゆるやかに蜂ひとつ舞ひこそくだれ日のおもて石獅(せきし)は土にうづまりて禮(ゐや)をするとや石人(せきじん)は身をこごめたりああいつの日かゆけるものここにかへらん王も妃(きさき)も群衆(ぐんじゆう)も はた八衢(やちまた)も 高殿も夢より輕き羅(うす)ものをかづきて舞へる歌妓(うたひめ)の幻かこははだら雲 林のうれを飛びゆきて露霜(つゆじも)にわれのへてこし艸の路王の宮居のあとどころ かへり見すればうなじのべ尾を垂りてたつ 巨き牛透影(すいかげ)にしてたたずめる青空や土壘の丘やまことやな 亡びしものはことごとく土にひそみて鵲は聲なく歩み艸の穗に秋の風ふく丘上吟――扶餘迎月殿趾にて望(もち)の夜の月をまちがていにしへの百濟の王が江にのぞみ山にむかひてうたげせし高どのの名はこの丘のうへにのこりて秋されば秋の雨ふり蕎麥の花をりしも白き畑なかにふるき瓦をひろはんとわがもとほりつしとどにもぬれし袖かな路傍吟――慶州四天王寺趾にてうべ人は憂ひを知らぬ旅びとと見てこそすぎめいにしへの四天王寺のあとどころ綿の實しろき畑なかにふるき瓦をひろひつつおもき旅嚢(りよなう)は背負ひたれけふのゆくへも知らなくわれは冬の日――慶州佛國寺畔にてああ智慧は かかる靜かな冬の日にそれはふと思ひがけない時に來る人影の絶えた境に山林にたとへばかかる精舍の庭に前觸れもなくそれが汝の前に來てかかる時 ささやく言葉に信をおけ「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」秋は來り 秋は更け その秋は已にかなたに歩み去る昨日はいち日激しい風が吹きすさんでゐたそれは今日この新らしい冬のはじまる一日だつたさうして日が昏れ夜半(やはん)に及んでからも 私の心は落ちつかなかつた短い夢がいく度か斷れ いく度かまたはじまつた孤獨な旅の空にゐて かかる客舍の夜半にも私はつまらぬことを考へ つまらぬことに懊んでゐたさうして今朝は何といふ靜かな朝だらう樹木はすつかり裸になつて鵲の巣も二つ三つそこの梢にあらはれたものの影はあきらかに 頭上の空は晴れきつてそれらの間に遠い山脈の波うつて見える紫霞門(しかもん)の風雨に曝(さ)れた圓柱(まるばしら)にはそれこそはまさしく冬のもの この朝の黄ばんだ陽ざし裾の方はけぢめもなく靉靆として霞に消えた それら遙かな巓(いただき)の青い山々はその清明な さうしてつひにはその模糊とした奧ゆきで空間(エスパース)てふ 一曲の悠久の樂を奏しながらいま地上の現(うつつ)を 虚空の夢幻に橋わたしてゐるその軒端に雀の群れの喧いでゐる泛影樓(へんえいろう)の甍のうへさらに彼方疎林の梢に見え隱れしてそのまた先のささやかな聚落の藁家の空にまでそれら高からぬまた低からぬ山々はどこまでも遠くはてしなく靜寂をもつて相應へ 寂寞をもつて相呼びながら連つてゐるそのこの朝の 何といふ蕭條としたこれは平和な 靜謐な眺望だらうさうして私はいまこの精舍の中心大雄殿(だいゆうでん)の縁側に七彩の垂木(たるき)の下に蹲まりくだらない昨夜の惡夢の蟻地獄からみじめに疲れて歸つてきた私の心を掌にとるやうに眺めてゐる誰にも告げるかぎりでない私の心を眺めてゐる眺めてゐる――今は空しいそこここの礎石のまはりに咲き出でた黄菊の花をかの石燈(せきとう)の灯袋(ひぶくろ)にもありなしのほのかな陽炎のもえてゐるのをああ智慧は かかる靜かな冬の日にそれはふと思ひがけない時に來る人影の絶えた境に山林にたとへばかかる精舍の庭に前觸れもなくそれが汝の前にきてかかる時 ささやく言葉に信をおけ「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」あはれよしわれらの國はわれこの日遠き旅よりかへりきてあはれこの住みふりし窓に坐りぬ落葉つむ苔の庇を遊び場に啼くや雀子高からぬその軒の端に函根路の山はかすみて隣り家の蜜柑畠に子守唄ひねもすきこゆ戰ひのある日とは思(も)へのどかなる冬のひと日やわれこの日遠き旅よりかへりきて思ふことすべてなごみぬあはれよしかくもよしわれらの國は反歌戰ひのある日と思ひ日の本の荒磯(ありそ)にたてば海の音よし南の海ひと日わがゆくりなく故紙のひまより見出でたる一片の幼き文字、南の海と題せり、いづれの年ごろしたためしものとも今はおぼえね、その嘆かひなほ今日の日のわがものにかよひて多く異ならず覺ゆ、あはれわがさがやとて自ら憐れみてこの集の跋に代へんとす――あの濱邊へ行つて、もう一度あの空の色が見たいものだ、――折にふれて、私はよくさう思ふ...   いく年かものにまぎれて筐底にひそみゐし舊詩二章、その心あわただしくその詞もとより拙きのみか、遠き日の情懷ははた囘顧するにものうけれども、この集の著者がなほけふの日の境涯をいささかまた歌ひえたるに肖たるを覺ゆ、すてがたければとどめて序にかへんとす――一點鐘二點鐘靜かだつた靜かな夜だつた時折りにはかに風が吹いたその風は そのまま遠くへ吹きすぎた一二瞬の後 いつそう靜かになつたさうして夜が更けたそんな小さな旋じ風も その後谿間を走らない……一時が鳴つた二時が鳴つた一世紀の半ばを生きた 顏の黄ばんだ老人の あの古い柱時計柱時計の夜半の歌山の根の冬の旅籠の噫あの一點鐘二點鐘その歌聲が私の耳に蘇生るそのもの憂げな歌聲が私を呼ぶ私を招く庭の日影に莚を敷いて妻は子供と遊んでゐる風車のまはる風車小屋――玩具の粉屋の窓口から砂の麺麭粉がこぼれ出る麺麭粉の砂の一匙を粉屋の屋根に落しこむくるくるまはれ風車……くるくるまはれ風車……卓上の百合の花心はしつとり汗にぬれてゐる私はそれをのぞきこむさうして私は 私の耳のそら耳に過ぎ去つた遠い季節の靜かな夜を聽いてゐる聽いてゐる噫あの一點鐘二點鐘木兎木兎が鳴いてゐるああまた木兎が鳴いてゐる古い歌聽きなれた昔の歌お前の歌を聽くために私は都にかへつてきたのか……さうだ私はいま私の心にさう答へる十年の月日がたつたその間に 私は何をしてきたか私のしてきたことといへばさて何だらう……一つ一つ 私は希望をうしなつたただそれだけ木兎が鳴いてゐるああまた木兎が鳴いてゐる昔の聲で昔の歌を歌つてゐるそれでは私も お前の眞似をするとしようすこしばかり歳をとつた この木兎もさ海六章ある橋上にて十日くもりてひと日見ゆ沖の小島はほのかなれいただきすこし傾きてあやふきさまにたたずめるはなだに暮るるをちかたにわが奧つきを見るごとし波沖にはいつも灰色の鴎の群れと白くくづれる波の穗がしらことわりやわれがうれひの絶ゆる日なきも貝殼昨夜ひと夜やさしくあまい死の歌をうたつてゐた海しかしてここに殘されし今朝の沙上のこれら貝殼既に鴎は既に鴎は遠くどこかへ飛び去つた昨日の私の詩のやうに翼あるものはさいはひな……あとには海がのこされた今日の私の心のやうに何かぶつくさ呟いてゐる……この浦にこの浦にわれなくば誰かきかんこの夕この海のこゑこの浦にわれなくば誰かみんこの朝この艸のかげ重たげの夢重たげの夢はてしなくうつうつと眠るわたつみ的と花かぐはしく六月の柑子の山は柑子のなりにまどかなるつらなりてそをかこみたりかかる日もわれがうれひはとほき日のかたゆきたらん鴎どりああかの烈風のふきすさぶ砂丘の空にとぶ鴎沖べをわたる船もないさみしい浦のこの砂濱にとぶ鴎かぐろい波の起き伏しするああこのさみしい國のはて季節にはやい烈風にもまれもまれて何をもとめてとぶ鴎波は砂丘をゆるがしてあまたたび彼方にあがる潮煙り その轟きもやがてむなしく消えてゆく春まだき日をなく鴎ああこのさみしい海をもてあそび短い聲でなく鴎聲はたちまち烈風にとられてゆけどなほこの浦にたえだえに人の名を呼ぶ鴎どり夏艸こぞの夏この川べりをたそがれにゆけるひとありわれはこなたの艸にゐてほそき流れに絲をたれほどちかき海をききつつゆくりなきもの思ひせしこぞの夏この川べりをたそがれにゆけるひとありわれはまたこの夏艸にこの年もきてはすわりつ青き流れにこぞの日の小さき魚をつらんとすたそがれのこの川べりにまどかなる月はのぼれどこぞのそのかのたそがれの人かげはとめんすべなきこの朝このあしたかの島かげのさやかなる秋のきざしにおどろくはなにのこころぞゆける日を惜まんとして盲人のおきなさびわれものの音に耳をかたむくかのあした君がおん手にむすばれてもてあそばれし白砂をわれもむすべばうみ鳥のはるかによばふこゑならねその白砂のわが手にはうたひそめにし志おとろへし日はこころざしおとろへし日はいかにせましな手にふるき筆をとりもちあたらしき紙をくりのべとほき日のうたのひとふし情感のうせしなきがらしたためつかつは誦しつかかる日の日のくるるまでこころざしおとろへし日はいかにせましな冬の日の黄なるやちまたつつましく人住む小路ゆきゆきてふと海を見つ波のこゑひびかふ卓に甘からぬ酒をふふみつかかる日の日のくるるまで梅さきぬ梅さきぬ高き梢に梅さきぬ朝日子に花三四的と蕋は黄に香はほのか梅さきぬこの朝はだら雪山にのこりて嶺をきらひ雲は横ふすこはしばし海鳴りやみて遠どほに大砲の音さながらや人を呼ぶがにさながらや手をし拍つがに梅さきぬ南の枝に梅さきぬ高き梢にわが門のまらうどやこれたたずめる老い木ひともと夜半にして阿古屋のたまのかつ碎けかつむすびけんこの朝この木の枝に梅さきぬ高き梢に梅さきぬ南の枝に的と蕋は黄に花三四香はほのか梅さきぬ朝日子にいつしかにひさしわが旅たまくしげ函根の山のこなたなる足柄の山をさなき日うたにうたひしその山のふもとの出湯にゆくりなくわが來り臥す春の日をいく日へにけむ朝な朝ななくきぎすはもけたたまし谷をとよもしはたたくや木もれ陽のうちつと見ればつまを率てかの澤ひとつわたりてあとはまたそこの欅のうれにありなしの風の聲のみわが旅のひさしきをあないつの日かわすれてゐしよひそかなるかかるおそれにかへり見るをちのしじまゆ驛遞の車のこゑす驛遞の車のこゑすあはれやな みじかかる命とは知れいつしかにひさしわが旅淺春偶語『物象詩集』の著者丸山薫君はわが二十餘年來の詩友なり、この日新著を贈られてこれを繙くに感慨はたもだす能はず、乃ち友よ われら二十年も詩を書いて已にわれらの生涯も こんなに年をとつてしまつた友よ 詩のさかえぬ國にあつてわれらながく貧しい詩を書きつづけた孤獨や失意や貧乏や 日々に消え去る空想やああながく われら二十年もそれをうたつたわれらは辛抱づよかつたさうしてわれらも年をとつたわれらの後に 今は何が殘されたか問ふをやめよ 今はまだ背後を顧みる時ではない悲哀と歎きで われらは已にいつぱいだそれは船を沈ませる このうへ積荷を重くするなわれら妙な時代に生きて妙な風に暮したものださうしてわれらの生涯も おひおひ日暮に近づいた友よ われら二十年も詩を書いて詩のなげきで年をとつた ではまた氣をつけたまへ 友よ 近ごろは酒もわるい!浮雲一片巓のまろき山あり裸木の穗なみのうへにゆきなづむ浮雲一片たそがれは萬物の色たちまちにうつろふ時し轉瞬にかたちかへつつゆくとなくいゆく白雲かがよへる色もかげりて藍ふかき空に消なんと消ななんとして見ゆるかな風寒き客舍の窗にわれひとり榻に身をのべ肱つきて見つつありしがゆくりなく涙さしぐむ不覺やな涙おちにきいまははやおのれおぼえぬいにし日を戀ふとやすらん閑雅な午前ごらん まだこの枯木のままの高い欅の梢の方をその梢の細いこまかな小枝の網目の先々にもはやふつくらと季節のいのちは湧きあがつてまるで息をこらして靜かにしてゐる子供達の群れのやうにそのまだ眼にもとまらぬ小さな木の芽の群衆はお互に肱をつつきあつて 言葉のない彼らの言葉で何ごとか囁きかはしてゐる氣配春ははやそこの芝生に落ちかかる木洩れ陽の縞目模樣にもちらちらとして淺い水には蘆の芽がすくすくと鋭い角をのぞかせたながく悲しみに沈んだ者にも 春は希望のかへつてくる時新らしい勇氣や空想をもつて春はまた樂しい船出の帆布を高くかかげる季節雲雀や燕もやがて遠い國からここにかへつてきて私たちの頭上に飛びかひ歌ふだらう菫 蒲公英 蕨や蕗や筍や 蝶や蜂 蛇や蜥蜴や青蛙やがて彼らも勢揃ひして 陽炎の松明をたいて押寄せてくるああその旺んな春の兆しは四方に現れて眼に見えぬ霞のやうに棚引いてゐるのどかな午前どことも知れぬ方角の 遠い遙かな空の奧でないてゐる鴉の聲も二つなく靉靆として 夢のやうに 眞理のやうに白雲を肩にまとつた小山をめぐつて聞えてくるああげに季節のかういふのどかな時 かういふ閑雅な午前にあつて考へる――人生よ ながくそこにあれ!山上の鷄――ある旅先にて――山上に鳴く鷄よおおこの夜ふけにおおこの時刻外れに山上に鳴く鷄よ裸の樹木が顫へてゐるこの寒空にお前は何を呼んでゐるのかお前は何を祈つてゐるのか四方の山が眠つてゐるこの眞暗な谿の上に山上に鳴く鷄よお前は夢を見てゐるのだお前は夢に怯えてゐるのだ憐れな鷄よ憐れな山上の夢遊病者よお前は鷄冠を顫はせて お前は胸を張つて鳴いてゐる鳴いてゐる 頭の上の闇を仰いで お前の寒い小屋の中で お前の古い棲り木の上でお前は鳴いてゐる 鳴いてゐるお前の主人も 主人の犬も寢てゐる時にお前の時刻でない時にお前は鳴いてゐるおおこの夜ふけにお前は一心に鳴いてゐるおおこの星の飛ぶ時刻にお前は鳴いてゐるああまだお前は鳴いてゐる鳴いてゐる この眞暗な谿の上に山上に鳴く鷄 深夜の智慧の歌ひ手よ!きそは冬犬二三霜ばしら蹴えかなたなる木立をいでてこもごもに空をあふぎぬ羊雲かがよひとべる尾上には雪こそのこれ裸木はなほし芽ぶかねきそは冬けふははや春あはれよと見れば屎しぬ朴の木のしづ枝の鶲玻璃の外に風はあらけれどこからか跳びし蟋蟀すすけたるくらき襖のしろがねの月夜をあゆむきそは冬けふははや春峽をくるバスの遠音もおぼめきてきこゆる朝餉旅人もよべのうれひを忘らへて箸をこそとれ蕗の薹こはかぐはしきあつものの湯氣のけむりもきそは冬けふははや春家庭息子が學校へ上るので親父は毎日詩を書いた詩は帽子やランドセルや教科書やクレイヨンや小さな蝙蝠傘になつた四月一日櫻の花の咲く町を息子は母親につれられて古いお城の中にある國民學校第一年の入學式に出かけていつた靜かになつた家の中で親父は年とつた女中と二人久しぶりできくやうに鵯どりのなくのをきいてゐた海の鳴るのをきいてゐた獨樂ふるさとのふるき小箱にいくとせかものにまぎれてねむりゐしあはれこの獨樂くろがねの輪がねもゆるびいとけなかりしわが日ごろあそび手なれしとほき日はかたちよきものとおもひしそのすがたいまは魂うせておろかしく蹙まりて見ゆしかすがにわれは忘れずげに夏ちかき夏ちかきかかる日のしづかなる木かげにありてわれは日もすがらこの獨樂をまはしてひとり遊びたりしを獨樂は日なたの土をうがちてそのかげしばしあきらかにわが足もとにしづまりぬあはれそはなにものかとほくさりゆく日のごとくいはけなきわらべごころのゆゑもなくえたへざりしがかくてまたわがこころひとにつぐべきすべもあらぬをかかる日のかかる木かげにわれはさとりそめにけんそのこころつひにかはらずいまもなほかかる日のげに夏ちかきかかる日のかくしづかなる木かげにはあれ風蕭々たのむべききはにもあらぬかりそめの宿とはおもへわが家といつかたのみてはるばるととほき旅路ゆかへりこしその夜もすがら松が枝に松が枝の風蕭々とふきこそわたれいねがての枕にかよふさねさし相模の小野に春もゆくころの潮さゐうばたまの闇をとよもすひとふしの海のうたごゑあなあはれなにをもとめてさまよひし旅路なりけんかつてわが耳になれにしそのこゑを夜をこめてきけ水聲そはこの身いまだ若き日よるべなき心ひとつをはこびつつあめつちは夏のさなかに越えゆきし天城山みちその谿のふかき底ひにこゑのみをききし水聲そのこゑのなつかしきかな我れはかく垂老の日に心またかなしみにえたへじとしてふともそのかの瀬の音をそら耳のそらにききつつゆくりなく憂ひを消しぬゆゑいかにみづから知らず毀れた窓廢屋のこはれた窓から五月の海が見えてゐる硝子のない硝子戸越しにそいつが素的なまつ晝間だ波は一日ながれてゐるその額縁にポンポン船がやつてくる灰色の鴎もそこに集つて何かしばらく解けない謎を解いてゐるあとはまたなんにもない青い海だがそれがまた何とも妙に心にしみるぽつかり一つそんな時鯨がそこに浮いたつてよささうな鹽梅風にも見えるのだそれをぼんやり見てゐるとどういふものか俺の眼にはふと故郷の街がうかんできた古い石造建築のどうやら銀行らしいやつのくつきりとした日かげを俺が歩いてゐるまだ二十前の俺がそれから廣場をまた突切つてゆくのだああそれらの日ももうかへつては來なくなつた……そんな思出でもない思出が隨分しばらく俺の眼さきに浮んでゐたどういふ仕掛けの窓だらう何しろこいつは素的な窓だ丘の上の松の間の廢屋のこはれた窓から五月の海が見えてゐる謎の音樂春の日のうすら黄ばんだ沙の上に日もすがらしづかに囁いてゐる海どこまでも遠くはるかにひろがつたこのはてしない青い海原海とは何だらうそもそもこの眺望は小さな船を七つ八つ今しも遠くへつれてゆく海よこころよい不可思議解きがたい謎の音樂灰色の鴎――ある一つの運命について彼らいづこより來しやを知らず彼らまたいづこへ去るやを知らないかの灰色の鴎らも我らと異る仲間ではないいま五月の空はかくも青くいま日まはりの花は高く垣根に咲きいでた東してここに來る船あり西して遠く去る船ありいとけなき息子は沙上にはかなき城を築き父はこなたの陽炎に坐してものを思へり漁撈の網はとほく干され貨物列車は岬の鼻をめぐり走れりああ五月の空はかくも青くはた海は空よりもさらに青くたたへたりしかしてああ いぢらしきこれら生あるものの上にかの海風は 鰯雲は高く來るかな……しかしてああ げにわれらの運命もかの高きより來るかな……されば彼ら 日もすがらかしこに彼らの圓を描きされば彼ら 日もすがら彼らの謎を美しくせんとす彼らいづこより來しやを知らず彼らまたいづこへ去るやを知らないかの灰色の鴎らも我らと異る仲間ではない海四章馬車乘る人はなにを思ひてすずろかに馬車はゆくらん空青く雲白く窓なかば閉ぢしホテルのうら藪に啼ける山鳩海青く薔薇白く蝉紅のダーリアの花こぞありしそこの垣根に黄金なす日まはりの花こぞありしここの築地にさながらにその花咲けりこぞの夏かよひし小徑蝉もまたかなたの松に海青き林に鳴けり沙上山の端の雲は薔薇にくれなゐに燃えもはてたれなほしばしかぎろふ浦曲羽しろく砂をかすめてひとむれの千鳥はかなた黄昏にまぎれて啼けりそら耳のそらにはあらずそのこゑのありとしもなくゆきまどひはたと絶えたれ折からや月かげあはくなにものの飛沫なるらん旅人の頬にしづけりわが耳はわが耳は朝夕に海をききつつつたなくもかくわが世古りゆく夜地震す夜なゐす鷄鳴はるかに起り雨の聲甍を走れり夜なゐす陋居暗く閉ざし妻子みな階下に眠れりわれひとり半ば眼ざめて枕上にものを思ふに夜なゐす三たび夜なゐす三たび波の音かなたに呼ばひ夜の鳥こなたに應ふ秋立ちしかかる夜半に夢斷えて思ひはてなし行路難々々々 身はふれど世に鷄林口誦たくぶすま新羅の王の陵に秋の日はいまうららかなりいづこにか鷄の聲はるかに聞えかなたなる農家に衣を擣つ音す路とほくこし旅びとはここに憩はん 芝艸はなほ緑なり綿の畑の綿の花小徑の奧に啼くいとど松の梢をわたる風艸をなびけてゆく小川うつらうつらと觀相の眼をしとづればつぎつぎに起りて消ゆるもののこゑひそまりつくす時しもや 蒼天ふかくはたゆるやかに蜂ひとつ舞ひこそくだれ日のおもて石獅は土にうづまりて禮をするとや石人は身をこごめたりああいつの日かゆけるものここにかへらん王も妃も群衆も はた八衢も 高殿も夢より輕き羅ものをかづきて舞へる歌妓の幻かこははだら雲 林のうれを飛びゆきて露霜にわれのへてこし艸の路王の宮居のあとどころ かへり見すればうなじのべ尾を垂りてたつ 巨き牛透影にしてたたずめる青空や土壘の丘やまことやな 亡びしものはことごとく土にひそみて鵲は聲なく歩み艸の穗に秋の風ふく丘上吟――扶餘迎月殿趾にて望の夜の月をまちがていにしへの百濟の王が江にのぞみ山にむかひてうたげせし高どのの名はこの丘のうへにのこりて秋されば秋の雨ふり蕎麥の花をりしも白き畑なかにふるき瓦をひろはんとわがもとほりつしとどにもぬれし袖かな路傍吟――慶州四天王寺趾にてうべ人は憂ひを知らぬ旅びとと見てこそすぎめいにしへの四天王寺のあとどころ綿の實しろき畑なかにふるき瓦をひろひつつおもき旅嚢は背負ひたれけふのゆくへも知らなくわれは冬の日――慶州佛國寺畔にてああ智慧は かかる靜かな冬の日にそれはふと思ひがけない時に來る人影の絶えた境に山林にたとへばかかる精舍の庭に前觸れもなくそれが汝の前に來てかかる時 ささやく言葉に信をおけ「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」秋は來り 秋は更け その秋は已にかなたに歩み去る昨日はいち日激しい風が吹きすさんでゐたそれは今日この新らしい冬のはじまる一日だつたさうして日が昏れ夜半に及んでからも 私の心は落ちつかなかつた短い夢がいく度か斷れ いく度かまたはじまつた孤獨な旅の空にゐて かかる客舍の夜半にも私はつまらぬことを考へ つまらぬことに懊んでゐたさうして今朝は何といふ靜かな朝だらう樹木はすつかり裸になつて鵲の巣も二つ三つそこの梢にあらはれたものの影はあきらかに 頭上の空は晴れきつてそれらの間に遠い山脈の波うつて見える紫霞門の風雨に曝れた圓柱にはそれこそはまさしく冬のもの この朝の黄ばんだ陽ざし裾の方はけぢめもなく靉靆として霞に消えた それら遙かな巓の青い山々はその清明な さうしてつひにはその模糊とした奧ゆきで空間てふ 一曲の悠久の樂を奏しながらいま地上の現を 虚空の夢幻に橋わたしてゐるその軒端に雀の群れの喧いでゐる泛影樓の甍のうへさらに彼方疎林の梢に見え隱れしてそのまた先のささやかな聚落の藁家の空にまでそれら高からぬまた低からぬ山々はどこまでも遠くはてしなく靜寂をもつて相應へ 寂寞をもつて相呼びながら連つてゐるそのこの朝の 何といふ蕭條としたこれは平和な 靜謐な眺望だらうさうして私はいまこの精舍の中心大雄殿の縁側に七彩の垂木の下に蹲まりくだらない昨夜の惡夢の蟻地獄からみじめに疲れて歸つてきた私の心を掌にとるやうに眺めてゐる誰にも告げるかぎりでない私の心を眺めてゐる眺めてゐる――今は空しいそこここの礎石のまはりに咲き出でた黄菊の花をかの石燈の灯袋にもありなしのほのかな陽炎のもえてゐるのをああ智慧は かかる靜かな冬の日にそれはふと思ひがけない時に來る人影の絶えた境に山林にたとへばかかる精舍の庭に前觸れもなくそれが汝の前にきてかかる時 ささやく言葉に信をおけ「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」あはれよしわれらの國はわれこの日遠き旅よりかへりきてあはれこの住みふりし窓に坐りぬ落葉つむ苔の庇を遊び場に啼くや雀子高からぬその軒の端に函根路の山はかすみて隣り家の蜜柑畠に子守唄ひねもすきこゆ戰ひのある日とは思へのどかなる冬のひと日やわれこの日遠き旅よりかへりきて思ふことすべてなごみぬあはれよしかくもよしわれらの國は反歌戰ひのある日と思ひ日の本の荒磯にたてば海の音よし南の海ひと日わがゆくりなく故紙のひまより見出でたる一片の幼き文字、南の海と題せり、いづれの年ごろしたためしものとも今はおぼえね、その嘆かひなほ今日の日のわがものにかよひて多く異ならず覺ゆ、あはれわがさがやとて自ら憐れみてこの集の跋に代へんとす――あの濱邊へ行つて、もう一度あの空の色が見たいものだ、――折にふれて、私はよくさう思ふの読み方
三好達治 「一點鐘」

...また折にふれ綴(つづ)った和歌等が含まれていたのです...   また折にふれ綴った和歌等が含まれていたのですの読み方
柳宗悦 「民藝四十年」

...本当は折にふれ、ことにつけて詠むのが目的で、題詠を練習するのであるが、そのころは題詠で競争する風習があった...   本当は折にふれ、ことにつけて詠むのが目的で、題詠を練習するのであるが、そのころは題詠で競争する風習があったの読み方
柳田国男 「故郷七十年」

...それにしても、相良様(さがらさま)は、どうなすったでございましょうね」「りんや……」と月江は琴のそばを離れて、「お前もまだ、あの方のことを覚えておいでかえ」「ええ、折にふれて、思い出すのでございますよ...   それにしても、相良様は、どうなすったでございましょうね」「りんや……」と月江は琴のそばを離れて、「お前もまだ、あの方のことを覚えておいでかえ」「ええ、折にふれて、思い出すのでございますよの読み方
吉川英治 「江戸三国志」

...人生多事、蜀へ帰られてはお忙しいでしょうが、折にふれ、荊州に玄徳ありと思い出して下さい...   人生多事、蜀へ帰られてはお忙しいでしょうが、折にふれ、荊州に玄徳ありと思い出して下さいの読み方
吉川英治 「三国志」

...折にふれ思いいで居りそろ……召使が...   折にふれ思いいで居りそろ……召使がの読み方
吉川英治 「新書太閤記」

...――けれど、事にふれ、折にふれ、こうして絶えず兵学の常識を教えて下さるのだとは、松千代にもよく分っていた...   ――けれど、事にふれ、折にふれ、こうして絶えず兵学の常識を教えて下さるのだとは、松千代にもよく分っていたの読み方
吉川英治 「新書太閤記」

...折にふれて何かいうと...   折にふれて何かいうとの読み方
吉川英治 「親鸞」

...おまえの兄さんは」と、折にふれ、忘れかねるが如く云い暮らしていた、義兄政広についても、後日の深刻な一挿話があるが、ここではやめよう...   おまえの兄さんは」と、折にふれ、忘れかねるが如く云い暮らしていた、義兄政広についても、後日の深刻な一挿話があるが、ここではやめようの読み方
吉川英治 「忘れ残りの記」

...折にふれて思い出しては悲しむのが...   折にふれて思い出しては悲しむのがの読み方
和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」

「折にふれ」の書き方・書き順

いろんなフォントで「折にふれ」


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父親   考えすぎる   事情通  

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