...ドン・ホアンの寂寥と悲痛とは戲れに過ぎない...
阿部次郎 「三太郎の日記 第二」
...さうして凡てを通じて遊戲の氣分を失はないと思つた...
阿部次郎 「三太郎の日記 第二」
...小生の時々短歌を作る如きは或意味に於て小生の遊戲なり...
石川啄木 「消息」
...ちくちく刺(さ)してくれるのが愛の戲(たはむれ)なら...
上田敏 上田敏訳 「牧羊神」
...紙の上へ意味のない惡戲書(いたづらが)きをしてゐる内に...
鈴木三重吉 「金魚」
...その時足疾きアキリュウス半戲れ陳じいふ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...「なんでえ朝ツぱらから」とおやぢは不審相にして半はいつもの戲談でもいはれるやうに微笑しながらいつた...
長塚節 「芋掘り」
...親分」「惡戲も念が入り過ぎた...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...本當に惡戲ばかりつのりまして聞わけとては少しもなく...
樋口一葉 「十三夜」
...雨の降るに表へ出ての惡戲は成りませぬ...
樋口一葉 「たけくらべ」
...あらゆる遊戲からボイコツトした...
堀辰雄 「麥藁帽子」
...心ひそかにその遂行を樂しんでゐた遊戲の興味は...
水野仙子 「嘘をつく日」
...好んで戲文と呼ばるる文章のかへつて沈痛悲壯の調を帶べる事具眼の士の到底否み難き事實ならずや...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...そが上に戲曲に理想あらはれず、叙情詩若しくは小説に理想あらはるといふは、戲曲にあらはるゝ客觀の相(所觀)は叙情詩若しくは小説に於けるより多く、叙情詩若しくは小説にあらはるゝ主觀の感は戲曲に於けるより多きがためにしかおもはるゝのみにして、其實は戲曲にも、叙情詩若しくは小説にも、作者の理想、作者の極致はあらはるゝなり...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...終身一篇の沒却理想なる戲曲をも作り得ざりしもの多きなるべし...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...逍遙子が猶ほ戲曲と書して「ドラマ」と傍訓することある所以は...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...こたび早稻田文學の時文評論記者がわが山房論文に答ふるに戲文もてしたるを常見和尚に難ぜさせ...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...逍遙子が眞面目なる語をなすと、戲文を作るとは、吾が關するところならねど、世に逍遙子が才なくして、華文を作りて審美上の論をなし、遂には虎(とら)を畫いて狗(いぬ)に類するが如き人出でなむことをおそれ、ここに昔年シヤスレルが審美的華文の弊を論じたる卷(審美學首卷四六面以下)の中より一ひら二ひらを鈔出して、聊(いさゝか)我草紙を讀むらむ人の戒とす...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??