...(戊寅の年の十二月に崩りたまひき...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...戊寅(つちのえとら)の年の十二月にお隱れになりました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...七日、戊寅、幕府に於て、女房等を聚めて御酒宴有り、時に山内左衛門尉、筑後四郎兵衛尉等、屏の中門の砌に徘徊す、将軍家簾中より御覧じ、両人を御前の縁に召して、盃酒を給はるの間、仰せられて曰く、二人共に命を殞すこと近きに在るか、一人は御敵たる可し、一人は御所に候す可き者なりと云ふ、各怖畏の気有りて、盃を懐中して早出すと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿七日、戊寅、霽、宮内兵衛尉公氏、将軍家の御使として、和田左衛門尉の宅に向ふ、是義盛用意の事有るの由聞食すに依りて、其実否を尋ね仰せらるるの故なり、晩景、また刑部丞忠季を以て御使と為し、義盛の許に遣はさる、世を度り奉る可きの由、其聞有り、殊に驚き思食す所なり、先づ蜂起を止め、退いて恩裁を待ち奉る可きなりと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿日、戊寅、今夜子剋、御霊社鳴動す、両三度に及ぶと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...建保六年戊寅...
太宰治 「右大臣実朝」
...「歳乙亥、余※役江戸邸、一日趨白川老公招飲、酒間公手親折梅一枝、又作和歌并以賜余、余捧持而退、置于几上、翌日隣舎郎来云、賢侯之賜、宜接換移栽故園、不容徒委萎※、余従其言、及帰留托友人石子道、以佗日郵致、越戊寅春、余在京、会備中人小野梅舎至自江戸、訪余僑居、携一盆卉、視之乃曩所留者也、余驚且喜、梅舎与余、無半面之識、而千里帯来、其意一何厚也、既帰欲遺一物以表謝意、至今未果、頃友人泉蔵来話及其事、意似譴魯皐、因先賦此詩...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「女子文姫以今年戊寅病亡」と云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「戊寅元旦作」二首の一にかう云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文化十五年戊寅正月」と記してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文化十五年戊寅人日...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その百四次に戊寅夏秋の詩に出てゐる人物は長谷川雪旦である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此年戊寅は茶山の京阪に遊んだ年である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...わたくしは※斎(かんさい)詩集の戊寅の作中...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...事は文政戊寅の詩引及己卯の詩註に見えてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...墓表は「文政戊寅仲夏...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文政元年戊寅 六月二日成余六十七歳にして歿す...
森鴎外 「大塩平八郎」
...十一年戊寅、三十二歳...
森鴎外 「能久親王年譜」
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