...十日、戊午、和漢の間、武将の名誉有るの分御尋ね有るに就いて、仲章朝臣之を注し出して献覧せしむ、今日、善信、広元等、御前に於て読み申す、又御不審を尋ね仰せられ、再三御問答の後、頗る御感に及ぶと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...十七日、戊午、陰、和田平太胤長、陸奥国岩瀬郡に配流せらると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿二日、戊午、将軍家火取沢辺に逍遥せしめ給ふ、是草花秋興を覧るに依りてなり、武蔵守、修理亮、出雲守、三浦左衛門尉、結城左衛門尉、内藤右馬允等供奉せしむ、皆歌道に携はるの輩なり...
太宰治 「右大臣実朝」
...安政五年戊午(ぼご)正月...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...安政五年戊午(ぼご)の正月より...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...戊午年以来種々姦吏の徒に心を合はせ...
中里介山 「大菩薩峠」
...後文に「戊午七月」と云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「翌年(戊午翌年)夏...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「戊午」は戊申の誤であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...今茲安政戊午十一月十六日...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...安政五年歳次戊午仲冬之月...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...瞻淇の家督相続は次年戊午三月に至つて許された...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...正弘の世を去つた丁巳六月十七日より柏軒の奥詰を拝した己未八月廿二日に至る間に夭した人は戊午六月五日に亡くなつた正寧の女操子(さうこ)四歳...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...前年戊午以後には復(また)分家を載せない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...安政戊午に抽斎が歿し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...寿蔵碑には「安政五年戊午(ぼご)十二月五日...
森鴎外 「渋江抽斎」
...元文三年戊午(ぼご)八月八日」は...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...すなはち翌延宝六年戊午(つちのえうま)二月二十一日の吉辰(きっしん)を卜(ぼく)して往生講式七門の説法を講じ...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
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