...廿日、戊午、晴、去る二日、将軍家右大臣に任ぜしめ給ふ...
太宰治 「右大臣実朝」
...安政五年戊午(ぼご)の正月より...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...四年前戊午の年大久保の家を売払って築地の路地に引移ろうとしたのは丁度落葉の最も多い十二月であった...
永井荷風 「写況雑記」
...戊午年以来種々姦吏の徒に心を合はせ...
中里介山 「大菩薩峠」
...三戊午(ぼご)大獄の大弾圧も...
服部之総 「志士と経済」
...元和戊午那波道円活字刊本」と云つてあるのは是か...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...後文に「戊午七月」と云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...錦橋は書上に「天明八戊午年人始て曼公の術ある事をしる」と云つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「戊午」は戊申の誤であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「時天明八戊午年人始て曼公の術あることを知る」と云ふ文である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...今茲安政戊午十一月十六日...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...瞻淇の家督相続は次年戊午三月に至つて許された...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...正弘の世を去つた丁巳六月十七日より柏軒の奥詰を拝した己未八月廿二日に至る間に夭した人は戊午六月五日に亡くなつた正寧の女操子(さうこ)四歳...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...十年戊午 平八郎六歳...
森鴎外 「大塩平八郎」
...寛政十年戊午(ぼご)八月二日」と云ふ人がある...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...元文三年戊午(ぼご)八月八日」は...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...五年戊午、十二歳...
森鴎外 「能久親王年譜」
...すなはち翌延宝六年戊午(つちのえうま)二月二十一日の吉辰(きっしん)を卜(ぼく)して往生講式七門の説法を講じ...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
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