...二日、壬、陰、筑後左衛門尉朝重、義盛の近隣に在り、而るに義盛の館に軍兵競ひ集る、其粧を見、其音を聞きて戎服を備へ、使者を発して事の由を前大膳大夫に告ぐ、時に件の朝臣、賓客座に在りて、杯酒方に酣なり、亭主之を聞き、独り座を起ちて御所に奔り参ず、次に三浦平六左衛門尉義村、同弟九郎右衛門尉胤義等、始めは義盛と一諾を成し、北門を警固す可きの由、同心の起請文を書き乍ら、後には之を改変せしめ、兄弟各相議りて云ふ、早く先非を飜し、彼の内議の趣を告げ申す可しと、後悔に及びて、則ち相州御亭に参入し、義盛已に出軍の由を申す、時に相州囲碁の会有りて、此事を聞くと雖も、敢て以て驚動の気無く、心静に目算を加ふるの後起座し、折烏帽子を立烏帽子に改め、水干を装束きて幕府に参り給ふ、御所に於て敢て警衛の備無し、然れども両客の告に依りて、尼御台所並びに御台所等営中を去り、北の御門を出で、鶴岳の別当坊に渡御と云々、申刻、和田左衛門尉義盛、伴党を率ゐて、忽ち将軍の幕下を襲ふ、百五十の軍勢を三手に相分け、先づ幕府の南門並びに相州の御第、西北の両門を囲む、相州幕府に候せらると雖も、留守の壮士等義勢有りて、各夾板を切り、其隙を以て矢石の路と為して攻戦す、義兵多く以て傷死す、次に広元朝臣亭に、酒客座に在り、未だ去らざる砌に、義盛の大軍競ひ到りて、門前に進む、其名字を知らずと雖も、已に矢を発ちて攻め戦ふ、酉剋、賊徒遂に幕府の四面を囲み、旗を靡かし箭を飛ばす、朝夷名三郎義秀、惣門を敗り、南庭に乱れ入り、籠る所の御家人等を攻め撃ち、剰へ火を御所に放ち、郭内室屋一宇を残さず焼亡す、之に依りて将軍家、右大将軍家の法花堂に入御、火災を遁れ給ふ可きの故なり、相州、大官令御共に候せらる、凡そ義盛啻に大威を摂するのみに匪ず、其士率一以て千に当り、天地震怒して相戦ふ、今日の暮より終夜に及び、星を見るも未だ已まず、匠作全く彼の武勇を怖畏せず、且は身命を棄て、且は健士を勧めて、調禦するの間、暁更に臨みて、義盛漸く兵尽き箭窮まり、疲馬に策ちて、前浜辺に遁れ退く...
太宰治 「右大臣実朝」
...唯今にても当寺表惣門(おもてそうもん)の旁(かたわら)に立ちをり候榎(えのき)の大木に目をつけ...
永井荷風 「榎物語」
...惣門のほとりの掛茶屋に憩ひて境内を眺むるに...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...古びた惣門(そうもん)を潜(くぐ)って登る石段の両側に茶の木の美しく刈込まれたるに辛(から)くも昔を忍ぶのみ...
永井荷風 「日和下駄」
...路傍に立つ惣門(そうもん)を潜(くぐ)り...
永井荷風 「日和下駄」
...最初に惣門(そうもん)ありその次に中門(ちゅうもん)あり然る後幽邃なる境内あってここに始めて本堂が建てられるのである...
永井荷風 「日和下駄」
...先づ「真景累ヶ淵」の宗快豊志賀父子が根津惣門前に居住してをり...
正岡容 「根津遊草」
...惣門(そうもん)前通りから四条の方へ寄った往来は...
吉川英治 「新書太閤記」
...本能寺の惣門(そうもん)は...
吉川英治 「新書太閤記」
...本能寺の惣門から甍(いらか)にまで棚曳(たなび)いているのは事実である...
吉川英治 「新書太閤記」
...惣門(そうもん)の方へあるいて来た彼(か)の二人の町人であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...惣門の前には、今所司代の村井長門守(ながとのかみ)(春長軒)が供の者をひかえて佇んでいた...
吉川英治 「新書太閤記」
...長門守の姿はその混雑が終ってから惣門の内へかくれた...
吉川英治 「新書太閤記」
...もちろん惣門の固めは厳重を極めている...
吉川英治 「新書太閤記」
...これを正反対の惣門(そうもん)の方から望むと...
吉川英治 「新書太閤記」
...惣門の扉(と)を敵に開かせようとしていたために...
吉川英治 「新書太閤記」
...惣門のやや近くまで迫ったが...
吉川英治 「新書太閤記」
...惣門の外へ通ってしまったのであったが...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索