...応挙派のものに、たまには人物画はありましたが、しかし女性描写の参考はすくなすぎました...
上村松園 「画学校時代」
...応挙の老松に雪の積もった絵を写しにかかった時のことです...
上村松園 「座右第一品」
...それは唐画の山水もあれば応挙の花鳥もあるし...
上村松園 「写生帖の思ひ出」
...私共は今年はどこそこに応挙の絵が出るとか...
上村松園 「冷かされた桃割娘」
...椿岳は応挙の正統の流れを汲んだ玄孫(やしゃご)弟子であった...
内田魯庵 「淡島椿岳」
...この画のために亡師椿年から譲られた応挙伝来の秘蔵の大明墨(たいみんぼく)を使用し尽してしまったそうだ...
内田魯庵 「淡島椿岳」
...恰(とん)と応挙の描いた狗児(ちんころ)のやうだと仰しやつて大変可愛がられたもんだ...
内田魯庵 「犬物語」
...応挙に頼むもよからうが...
薄田泣菫 「茶話」
...四「京師(けいし)に応挙(おうきょ)という画人あり...
寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
...応挙の「蓬莱山図」と葉牡丹を根〆にした大きな苔松を背景にして...
久生十蘭 「魔都」
...まずまくらに主人公菱川重信の画風を以てして、「土佐狩野はいうに及ばず、応挙、光琳の風をよく呑み込んで、ちょっと浮世絵のほうでは又平から師宣、宮川長春などという所を見破って、其へ一蝶(いっちょう)の艶のある所をよく味わって」と、国芳門下に彩管を弄(もてあそ)んだありし日が立派にここでこう物をいっているのである...
正岡容 「我が圓朝研究」
...(色彩に関する例を挙ぐれば春の木の芽の色を樹によって染め分けたるがごとき、夜間燈火の映じたる樹を写したるがごとき)絵画における彼の眼光はきわめて高く、到底応挙、呉春らの及ぶところにあらず...
正岡子規 「俳人蕪村」
...余は応挙の真面目なるを愛す...
正岡子規 「病牀六尺」
...丸山応挙に臥猪(ふしい)の画を乞う者あり...
南方熊楠 「十二支考」
...応挙婆に野猪の臥したるを見た事ありやと問うに時折は見るという...
南方熊楠 「十二支考」
...いずれも卓絶の技巧に明治の宗達応挙とまで称えられた...
山本笑月 「明治世相百話」
...又は黴毒(ばいどく)に犯された個所の明瞭なもの)――――精神病で滅亡した家の宝物になっていた応挙(おうきょ)筆の幽霊画像――――磨(と)ぐとその家の主人が発狂するという村正(むらまさ)の短刀――――精神病者が人魚の骨と信じて売り歩いていた鯨骨の数片――――同じく精神病者が一家を毒殺する目的の下に煎(せん)じていた金銀瞳(め)の黒猫の頭――――同じく精神病者が自分で斬り棄てた左手の五指と...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...その結果――暁天(あかつき)星五郎――(羅宇屋煙管五郎八)鼬小僧新助――(八百屋の御用聞き新助)紫紐丹三郎――(仮面屋(めんや)の伜丹三郎)雲霧仁左衛門――(応挙の内弟子仁太郎)とこう自分自分で変え名を作って...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
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