...むかし、宋の徽宗皇帝が、画院の画工たちに孔雀が丘に上ろうとする様を描かせたことがあった...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...それとも徽宗(きそう)皇帝の『孔雀』でせうか」平次の言葉は唐突ですが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...わけても王若水の唐子、元信の觀瀑、徽宗皇帝の孔雀、金岡の觀音、雪舟の山水は、眞物(ほんもの)と紛(まが)ふばかりの素晴らしいできで、道八の手から諸方に賣り渡され、あらゆる鑑定者の眼まで昏(くら)まして、今日では日本の寳のやうに持て囃(はや)されてをるのでした...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...風流皇帝の徽宗(きそう)に会うこと世の才子肌にも...
吉川英治 「新・水滸伝」
...徽宗は、東宮時代から、すでに風流公子たるの素行が見えていたように、帝位に即(つ)いてからも政治には関心が薄かった...
吉川英治 「新・水滸伝」
...けれど、文治のなかには、王安石(おうあんせき)一派の急進的な改革論をもつ者と、保守旧法にたてこもる朝臣とが、たえず廟(びょう)に争っていたので、徽宗の代には、もうその内面に分裂と自解の、ただならぬ危機を孕(はら)んでいたのである...
吉川英治 「新・水滸伝」
...そして、徽宗はそこで、囚人同様な農耕を強(し)いられ、ついに帝王生活の悲惨な生涯を終えるにいたるのである...
吉川英治 「新・水滸伝」
...徽宗皇帝治下のそうした庶民世間の胎動(たいどう)をえがいた物語なので...
吉川英治 「新・水滸伝」
...現宋朝(そうちょう)の徽宗(きそう)皇帝のもとに...
吉川英治 「新・水滸伝」
...徽宗(きそう)の宋(そう)朝廷でも...
吉川英治 「新・水滸伝」
...徽宗(きそう)皇帝の後宮三千のうちに...
吉川英治 「新・水滸伝」
...ここに聖断を仰ぎ奉る次第にございまする」徽宗(きそう)皇帝は...
吉川英治 「新・水滸伝」
...道君(どうくん)徽宗(きそう)皇帝の姿は珠の椅子(いす)にあった...
吉川英治 「新・水滸伝」
...時の風流天子徽宗(きそう)は...
吉川英治 「新・水滸伝」
...徽宗(きそう)皇帝をとり巻いて...
吉川英治 「人間山水図巻」
...天下の名画を蒐(あつ)めた徽宗の宣和御府(せんなぎょふ)の儲蔵(ちょぞう)も...
吉川英治 「人間山水図巻」
...季唐はもとより徽宗(きそう)以来の大家(たいか)ではあり...
吉川英治 「人間山水図巻」
...しかもなお徽宗から李唐...
吉川英治 「人間山水図巻」
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