...無責任な新聞紙に大袈裟に伝えられるほどの不徳が美妙にあったとは思われない...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...此地行徳の入會地(いりあひち)にて...
大町桂月 「千葉夜行記」
...不徳の小文士と雖も...
太宰治 「文盲自嘲」
...又徳の高下に由るに非ずや...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...行基菩薩はあれ程の大徳であったけれども...
中里介山 「法然行伝」
...徳松がここに居たそうだが」「将棋(しょうぎ)の相手がありますから...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...今日のような道に誘って下すったのは徳田先生のような気がしてなりません...
林芙美子 「文学的自叙伝」
...然らばすなわち無形の智徳にして...
福沢諭吉 「徳育如何」
...さも仏様の功徳によってそれが自然へ感応し...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...して見れば西洋の公徳といふのも有形的であつて精神的では無い――ヤ...
正岡子規 「墓」
...ここいらでひとつ此頃流行の一手を學んで、大ざつぱにかたづけてしまへば、「末枯」の作者久保田万太郎君は、現代稀に見る完成した藝術家で、此の完成したといふ點に於て僅かに肩を並べ得る人は、徳田秋聲、正宗白鳥二氏の外には無い...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...徳川家斉(とくがわいえなり)が五十四...
森鴎外 「渋江抽斎」
...そのまま模範的な徳行や整った行いの基にしたならば...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...奥にも玄徳が見えなかった...
吉川英治 「三国志」
...一日、ようやく閑を得たので、玄徳は、関羽、張飛のほか、従者もわずか従え、行装も質素に、諸事美々しからぬを旨として、隆中へおもむいた...
吉川英治 「三国志」
...今までの碩学(せきがく)や大徳の説いた教えに養われてきた人々には...
吉川英治 「親鸞」
...もう何処からか貧乏徳利が運ばれて...
蘭郁二郎 「夢鬼」
...そうして他人の不道徳を罵る時にはその内面的の穢なさを指摘しようとします...
和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
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