...梅花書屋だの雨後山水だのと画題までもチャンと定まっておる...
内田魯庵 「駆逐されんとする文人」
...利根川の本流の水源はこの山と丹後山の間から発している...
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」
...丹後山の辺へでも登ったものらしい...
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」
...それから数日経つて私は夕飯後山腹の梅林のところを散歩した序に一つの径を尚ほ辿つて登つて行くと...
高浜虚子 「落葉降る下にて」
...椿子を入れるための硝子の箱を其の後山田徳兵衛君から送つて来たのが其のまゝにしてあつた...
高浜虚子 「椿子物語」
...寿さんの努力で後山がよく開拓されてある...
種田山頭火 「行乞記」
...道後山へ観梅と出かける...
種田山頭火 「松山日記」
...尾上(おべ)の後山(うしろやま)の復活の記念としての跛足(びっこ)は...
中里介山 「大菩薩峠」
...日輪は早くも後山に隠れて...
中村清太郎 「ある偃松の独白」
...「俺(おら)がに用事かね」ヌツと庭口へ來たのは三十前後山出しらしい男です...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...というのはその後山上の生きていたのを見た人は誰もないからである...
平林初之輔 「アパートの殺人」
...あとの三人と午後山を下りて銀座から海岸へ散歩に行く...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...二月十一日には、小石川音羽蓮光寺に喇叭の円太郎を掃墓して、春風や屋根に草ある朱き門三月廿九日は、ただ只管に平和ぞ恋しく、ありし日の寄席景情を偲べばとの前書下に、初席や梅の釣枝太神楽春の夜や花籠二つ鞠の曲春の夜の囃子の中の米洗ひやがて四月十三日と五月廿五日と、二ど焼かれた私たち一家は、羽後山村へ、ランプの村に起臥四ヶ月、折柄の月明には、佗びしき朽縁に端坐して、佗居うたた木村重松おもふ月風悲し重松ありしころの月と諷ひ、同じころ、現三笑亭可楽と、角舘町に於る、寄席芸術に関する講演に赴いて、偶々席上にて旧著『円朝』へ題句を求められた砌りには、東京(ふるさと)の寄席の灯遠き夜長かなと、即吟した...
正岡容 「寄席風流」
...これより後山陽は何処にゐたか...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...寺の後山一二三谷(のたに)をすぎ海浜に出て敦盛塔を看...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...後山に入水平戚(じゆすゐへいせき)の塔あり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...これは「後山叢譚(ござんそうだん)」の誌している所であるが...
吉川英治 「三国志」
...時の将軍綱吉も驚いて沼田領の実際を探って見ると果して訴状の通りであったので直ちに領地を取上げ伊賀守をば羽後山形の奥平家へ預けてしまった...
若山牧水 「みなかみ紀行」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??