...わたしは北条屋弥三郎(ほうじょうややさぶろう)です...
芥川龍之介 「報恩記」
...国民学校教師、野中弥一、酔歩蹣跚(すいほまんさん)の姿で、下手(しもて)より、庭へ登場...
太宰治 「春の枯葉」
...』弥撒(ミサ)がすんでからあたしは...
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 「レ・ミゼラブル」
...再び彼岸になっても六阿弥陀に詣でることを止めた...
永井荷風 「放水路」
...仏頂寺弥助は、その翌日、蝦蟇仙人(がませんにん)を描いた床の間に柱を背負って坐り込み、こんなことをいいました、「なあに、吾々が手を下すまでもなく、見る人の眼が肥えていさえすれば、にせものが百人出ようとも、あえて問題にするまでもなく自滅あるのみだが、如何(いかん)せん、あんなのを人気にするほど盲目(めくら)千人の世だから、少しは眼を醒(さ)まさせてやる必要がある――いけないのは、あの者共の周囲について、煽(おだ)てたり、提灯(ちょうちん)を持ったりする奴等で、菓子折の一つも貰えばいい気になって、お太鼓を叩くのだから、役者共もつけ上る...
中里介山 「大菩薩峠」
...今から丁度四十年の昔、百姓弥之助が、まだ十四歳の少年の頃、東京の本郷から十三里の道を、徒歩で立ち帰ったことがある、初夏の頃であったと思うが、紺飛白(こんがすり)の筒袖を着て、古い半靴を穿(は)いて東京を出て来た、湯島天神の石段を上りきって、第二の故郷の東京から第一の故郷へ帰る心持、丁度、唐詩にある「卻望并州是故郷」の感じで見返ったことを覚えている、それから今の高円寺荻窪辺、所謂(いわゆる)杉並村あたりから、北多摩の小平(こだいら)村附近へ来ると、靴ずれがし出して来たので、その半靴を脱いで杖の先きにブラ下げて、肩にかついで歩いたが、そうすると村の子供連が弥之助の前後に群がり集って、「あれ、靴!」「あれ、靴!」と云って、驚異しながら、ぞろぞろついて来たものだ...
中里介山 「百姓弥之助の話」
...遥かに大きな例としてワグネルや世阿弥は...
信時潔 「歌詞とその曲」
...それから幕府の外国方(がいこくがた)から鵜飼弥市(うかいやいち)...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...義経にその正体を見抜かれた弥平兵衛宗清の弥陀六の眉間のほくろ等は随分名高いものであるが...
堀口九萬一 「東西ほくろ考」
...明治三十八年の弥生興行に...
三浦環 「お蝶夫人」
...下座と沙弥とは古飯と胡麻滓(ごまかす)を菜に合せて煮た麁食(そしょく)のみくれたので痩(や)せ弱ったという...
南方熊楠 「十二支考」
...このようなものを弥(いや)が上にも刺戟し...
夢野久作 「東京人の堕落時代」
...傍から不弥(うみ)の女が消えていた...
横光利一 「日輪」
...「裏山から阿弥陀街道(あみだかいどう)へ抜けろ...
吉川英治 「江戸三国志」
...弥陀(みだ)をたのむ発心(ほっしん)も出家...
吉川英治 「私本太平記」
...(……だが?)と弥右衛門はまた...
吉川英治 「新書太閤記」
...そして、二挺の山駕も、邪魔にならない所へ片づけさせた後に、天堂一角は陽よけの笠を傾(かた)げ、弥助と啓之助は、道ばたの岩に腰を下ろして、何気ない風にたばこをくゆらしている……...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...りん弥は、武蔵の手へ、「これ、太夫様から――」となにか渡して、すぐ木戸の中へ駈けこんでしまった...
吉川英治 「宮本武蔵」
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