...弘徽殿へ昼間おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾(みす)の中にまでもお入れになった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...弘徽殿の女御がこれに平(たい)らかでないことに道理はあった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...なお物足りない心を満たしたいように弘徽殿の細殿の所へ歩み寄ってみた...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...昨夜の弘徽殿(こきでん)のつけこみやすかったことと比較して主人(あるじ)の女御にいくぶんの軽蔑(けいべつ)の念が起こらないでもなかった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...前(さき)の弘徽殿(こきでん)の女御(にょご)である新皇太后はねたましく思召(おぼしめ)すのか...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...昔の弘徽殿の細殿(ほそどの)の小室へ中納言の君が導いたのである...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「兵部卿の宮の中姫君(なかひめぎみ)も弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...昼などおいでになることは弘徽殿のほうが多かった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...お持ちになろうとするのを弘徽殿の人々は常にはばむのであった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...院のお絵は太后の手を経て弘徽殿(こきでん)の女御(にょご)のほうへも多く来ているはずである...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...そうした人たちは弘徽殿(こきでん)の女御(にょご)がだれよりも早く後宮(こうきゅう)にはいった人であるから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...また弘徽殿(こきでん)の女御(にょご)という寵姫(ちょうき)もおありになるのですから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...弘徽殿(こきでん)の女御...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...弘徽殿(こきでん)などになぞらえられていた所の一切の御物(ぎょぶつ)――また昼の御座(ぎょざ)の“日の簡(ふだ)”...
吉川英治 「私本太平記」
...弘徽殿(こきでん)の西台(にしのだい)といわれた佳人(かじん)がある...
吉川英治 「私本太平記」
...弘徽殿(こきでん)の更衣(こうい)づきの...
吉川英治 「平の将門」
...内裏の弘徽殿も及ばない構造といわれている...
吉川英治 「平の将門」
...月おもしろき夜に夜ふくるまで音楽をして遊ぶ弘徽殿(こきでん)のごとき人である(同一一六四)...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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