...なお門人建部賢弘(たけべかたひろ)の名で「発微算法演段諺解(はつびさんぽうえんだんげんかい)」並びに「研幾算法(けんきさんぽう)」と題する書物が出ていますが...
石原純 「關孝和」
...十一 一切の問題解決の秘鍵建部(たけべ)〔遯吾(とんご)〕博士は...
大隈重信 「現代の婦人に告ぐ」
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武田祐吉 「古事記」
...いまだ決まらなかった所長もフトした建部問題なるものをキッカケにして決定するし...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...その生家の建部家をたよって...
蜷川新 「私の歩んだ道」
...香道は足利時代から徳川時代へかけて、茶の湯生花以上に流行(はや)ったもので、三条西実隆(さねたか)を祖とする御家流をはじめ、志野流、建部流、米川流、蜂屋流、園流、里見流などの諸流派に岐れ、名木を焚いて聞く閑寂な楽しみに、上下の隔てなく熱中したものでした...
野村胡堂 「新奇談クラブ」
...三河町の手習師匠建部久馬(たてべきゅうま)の娘お雪...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...父親の建部久馬というのは...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...三河町の建部久馬の家へ行って...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...三河町の手習師匠建部(たてべ)久馬の娘お雪...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...父親の建部久馬といふのは...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...関孝和、建部兄弟、松永良弼等のごとき諸大家がこの種のことに関係が有ったか無かったかについては、今ほとんどその証拠を得ることができない...
三上義夫 「芸術と数学及び科学」
...建部が暦術上の必要から円周率の研究をしたこと...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...建部、山路等が星学にたずさわったのはこんな意味ではなかったが、ともかく、久留島の言葉によりて数学者が如何なる考えでいたかが察せられよう...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...関孝和及びその門人建部兄弟等のごとく...
三上義夫 「和算の社会的・芸術的特性について」
...そうして関孝和と建部賢弘との人物並びに学業の相違はあたかもよく建部がこれを喝破し得たように思われる...
三上義夫 「和算の社会的・芸術的特性について」
...当時奥医師になっていた建部(たけべ)内匠頭(たくみのかみ)政醇(まさあつ)家来辻元庵(つじもとしゅうあん)の如く目見(めみえ)の栄に浴する前例はあったが...
森鴎外 「渋江抽斎」
...市女笠の女はどこへ行きましたか」「建部(たけべ)の社(やしろ)に知り人がいるとかで...
吉川英治 「私本太平記」
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