...『延寿相談所』などという珍妙な看板が...
海野十三 「火星兵団」
...家元延寿太夫(えんじゆだいふ)が順三との幼馴染(おさななじみ)を懐(おも)ひ出して...
薄田泣菫 「茶話」
...先代の延寿は道楽といふ道楽を仕尽(しつく)して...
薄田泣菫 「茶話」
...――お母さんは延寿さんのところの名取(なとり)だったそうですがね...
高見順 「如何なる星の下に」
...尚又謀叛に組した廉(かど)で遠流(おんる)に処せられた人々は、延寿院玄朔、紹巴法眼、荒木安志、木下大膳亮(だいぜんのすけ)等であったが、それについて太閤記は云う、「たとひ秀次公謀反(むほん)を思召立(おぼしめしたち)給ふ事有共、かやうの人々を其使におぼし寄給はんや、各御反逆之事聊(いさゝか)以不レ奉レ存旨申上度思ひ侍れ共、長盛三成が威に恐れて取次人もなく、奉行人指図に任せて、配所に赴(おもむき)にけり」と...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...(これは『文選』に見えている王延寿の魯霊光殿賦のうちの辞句をとってそれを少しくいいかえたものであるが...
津田左右吉 「日本歴史の研究に於ける科学的態度」
...熱海延寿旅館へ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...延寿旅館へ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...三月二十八日(土曜)延寿旅館の朝...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...銀座裏の延寿春へ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...延寿太夫の真似してたら清に又真似されて驚く...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...ニットーレコードも、晩年は、タイヘイレコードと併合され、末路はかなくついえてしまったが、その頃関西から九州へかけての地盤はたいしたもので、今の山城少椽(当時古靭太夫)、観世左近、清元延寿太夫、吉住小三郎、関屋敏子、先代桂春團治、立花家花橘などがその代表的な専属芸術家で、かの「道頓堀行進曲」以来今日の流行歌や歌謡曲の前身をなすジャズ小唄なるものが台頭しだしてからは、故小花、それから美ち奴の両君もこの会社から華々しく打ってでたし、新人時代には、東海林太郎、松平晃、松島詩子君なども、この会社へみな吹き込んでいたものである...
正岡容 「わが寄席青春録」
...是が四世清元延寿太夫である...
森鴎外 「細木香以」
...違うたもんじゃ違うたもんじゃとギヤマン茶碗や、延寿の刀や、姉妹の妾を見せびらかして吹聴致しているので皆、顔を背向(そむ)けている...
夢野久作 「名君忠之」
...その文句も父(とと)様母(かか)様が言い聞かせたか」延寿国資を静かに傍(かたわら)に差し置いた昌秋は...
夢野久作 「名君忠之」
...延寿の父親の大炊(おおい)は...
吉川英治 「源頼朝」
...延寿もすすり泣いてしまう...
吉川英治 「源頼朝」
...延寿や大炊がどのように引留めても...
吉川英治 「源頼朝」
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