...璃寛が万延元年道頓堀筑後の芝居で...
薄田泣菫 「茶話」
...後醍醐(ごだいご)天皇の延元(えんげん)元年以来五十余年で廃絶(はいぜつ)したとなっているけれども...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...この昌造の工藝的な特徴は洋學年表も萬延元年の項に書いて「米魯初航以來...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...その状態は萬延元年飽ノ浦製鐵所御用係に登用されるまでつづいた...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...万延元年の変では...
野村胡堂 「江戸の昔を偲ぶ」
...真白くて五月桜の寂しきを延元陵に云へる僧かな昭和三年の晩春吉野に遊び後醍醐帝の延元陵に参られた時如意輪堂の僧でもあらうか...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...夫(そ)れで万延元年の正月に出帆しようと云うその時...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...例えば開国の初に、横浜で露西亜(ロシア)人の斬られたことなどは、唯(ただ)その事変に驚くばかりで自分の身には何とも思わざりしに、その後間もなく外人嫌いの精神は俄(にわか)に進歩して殺人(ひとごろし)の法が綿密になり、筋道(すじみち)が分(わか)り、区域が広くなり、之(これ)に加(くわ)うるに政治上の意味をも調合して、万延元年、井伊(いい)大老の事変後は世上何となく殺気を催(もよお)して、手塚律蔵(てづかりつぞう)、東条礼蔵(とうじょうれいぞう)は洋学者なるが故にとて長州人に襲撃せられ、塙二郎(はなわじろう)は国学者として不臣なりとて何者かに首を斬(き)られ、江戸市中の唐物屋は外国品を売買して国の損害するとて苦しめらるゝと云(い)うような風潮になって来ました...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...岡本博卿氏が万延元年にこの訳語を用いられたもので...
穂積陳重 「法窓夜話」
...又第一頁(けつ)の欄外に「万延元庚申冬月一校了約之遅」と書してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その三百十万延元年は蘭軒歿後第三十一年である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「万延元年庚申小春二十八夜三更燈下収筆...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万延元年紀州藩に仕へた時は...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万延元年に七十六に満たぬことは明白である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...万延元年の「武鑑」は...
森鴎外 「渋江抽斎」
...延元(えんげん)と改められ...
吉川英治 「私本太平記」
...遠く延元(えんげん)元年五月の楠木(くすのき)...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...延元(えんげん)の雄(お)たけびを思わすような風の声もして...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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