例文・使い方一覧でみる「延元」の意味


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...三年は安政三年の大暴風――八歳の時は万延元年で...   三年は安政三年の大暴風――八歳の時は万延元年での読み方
高村光雲 「幕末維新懐古談」

...推測するところ萬延元年アメリカへ日本使節として行つた木村攝津守...   推測するところ萬延元年アメリカへ日本使節として行つた木村攝津守の読み方
徳永直 「光をかかぐる人々」

...萬延元年増永文治發行の「蕃語小引」等は民間活字版の系統に屬する」ものださうであるが...   萬延元年増永文治發行の「蕃語小引」等は民間活字版の系統に屬する」ものださうであるがの読み方
徳永直 「光をかかぐる人々」

...安政二年以後は萬延元年末飽ノ浦製鐵所御用係となるまで...   安政二年以後は萬延元年末飽ノ浦製鐵所御用係となるまでの読み方
徳永直 「光をかかぐる人々」

...これは万延元年に前年からの工事が落成したもので...   これは万延元年に前年からの工事が落成したものでの読み方
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」

...万延元年二月中旬...   万延元年二月中旬の読み方
服部之総 「志士と経済」

...例えば開国の初に、横浜で露西亜(ロシア)人の斬られたことなどは、唯(ただ)その事変に驚くばかりで自分の身には何とも思わざりしに、その後間もなく外人嫌いの精神は俄(にわか)に進歩して殺人(ひとごろし)の法が綿密になり、筋道(すじみち)が分(わか)り、区域が広くなり、之(これ)に加(くわ)うるに政治上の意味をも調合して、万延元年、井伊(いい)大老の事変後は世上何となく殺気を催(もよお)して、手塚律蔵(てづかりつぞう)、東条礼蔵(とうじょうれいぞう)は洋学者なるが故にとて長州人に襲撃せられ、塙二郎(はなわじろう)は国学者として不臣なりとて何者かに首を斬(き)られ、江戸市中の唐物屋は外国品を売買して国の損害するとて苦しめらるゝと云(い)うような風潮になって来ました...   例えば開国の初に、横浜で露西亜人の斬られたことなどは、唯その事変に驚くばかりで自分の身には何とも思わざりしに、その後間もなく外人嫌いの精神は俄に進歩して殺人の法が綿密になり、筋道が分り、区域が広くなり、之に加うるに政治上の意味をも調合して、万延元年、井伊大老の事変後は世上何となく殺気を催して、手塚律蔵、東条礼蔵は洋学者なるが故にとて長州人に襲撃せられ、塙二郎は国学者として不臣なりとて何者かに首を斬られ、江戸市中の唐物屋は外国品を売買して国の損害するとて苦しめらるゝと云うような風潮になって来ましたの読み方
福澤諭吉 「福翁自伝」

...いわく、(延元元年正月、官軍三井寺(みいでら)攻めに)前々(せんぜん)炎上の時は、寺門の衆徒、これを一大事にして隠しける九乳(きゆうにゆう)の鳧鐘(ふしよう)も、取る人なければ、空しく焼けて地に落ちたり、この鐘と申すは、昔竜宮城より伝はりたる鐘なり、その故は承平の頃俵藤太秀郷(ひでさと)といふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人勢多(せた)の橋を渡りけるに、長(たけ)二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて、天に二つの日を掛けたるがごとし、双(なら)べる角(つの)の尖(するど)にして、冬枯れの森の梢(こずえ)に異ならず、鉄(くろがね)の牙上下に生(お)ひ差(ちご)ふて、紅の舌炎(ほのお)を吐くかと怪しまる、もし尋常(よのつね)の人これを見ば、目もくれ魂消えて、すなはち地にも倒れつべし、されども秀郷、天下第一の大剛の者なりければ、更に一念も動ぜずして、彼(かの)大蛇の背(せなか)の上を、荒らかに踏みて、閑(しずか)に上をぞ越えたりける、しかれども大蛇もあへて驚かず、秀郷も後を顧みずして、遥(はる)かに行き隔たりける処に、怪しげなる小男一人、忽然(こつぜん)として秀郷が前に来(きたつ)ていひけるは、我この橋の下に住む事すでに二千余年なり、貴賤往来の人を量り見るに、今御辺(ごへん)ほどに剛なる人いまだ見ず、我に年来(としごろ)地を争ふ敵あつて、動(やや)もすれば彼がために悩まさる、しかるべくは御辺、我敵を討つてたび候へと懇(ねんごろ)に語(かたら)ひけれ、秀郷一義もいはず、子細あるまじと領状して、すなはちこの男を前(さき)に立て、また勢多の方へぞ帰りける、二人共に湖水の波を分けて水中に入る事五十余町あつて、一の楼門あり、開いて内へ入るに、瑠璃(るり)の沙(いさご)厚く、玉の甃(いしだたみ)暖かにして、落花自ずから繽紛(ひんぷん)たり、朱楼紫殿玉の欄干金(こがね)を鐺(こじり)にし銀(しろがね)を柱とせり、その壮観奇麗いまだかつて目にも見ず、耳にも聞かざりしところなり...   いわく、攻めに)前々炎上の時は、寺門の衆徒、これを一大事にして隠しける九乳の鳧鐘も、取る人なければ、空しく焼けて地に落ちたり、この鐘と申すは、昔竜宮城より伝はりたる鐘なり、その故は承平の頃俵藤太秀郷といふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人勢多の橋を渡りけるに、長二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて、天に二つの日を掛けたるがごとし、双べる角の尖にして、冬枯れの森の梢に異ならず、鉄の牙上下に生ひ差ふて、紅の舌炎を吐くかと怪しまる、もし尋常の人これを見ば、目もくれ魂消えて、すなはち地にも倒れつべし、されども秀郷、天下第一の大剛の者なりければ、更に一念も動ぜずして、彼大蛇の背の上を、荒らかに踏みて、閑に上をぞ越えたりける、しかれども大蛇もあへて驚かず、秀郷も後を顧みずして、遥かに行き隔たりける処に、怪しげなる小男一人、忽然として秀郷が前に来ていひけるは、我この橋の下に住む事すでに二千余年なり、貴賤往来の人を量り見るに、今御辺ほどに剛なる人いまだ見ず、我に年来地を争ふ敵あつて、動もすれば彼がために悩まさる、しかるべくは御辺、我敵を討つてたび候へと懇に語ひけれ、秀郷一義もいはず、子細あるまじと領状して、すなはちこの男を前に立て、また勢多の方へぞ帰りける、二人共に湖水の波を分けて水中に入る事五十余町あつて、一の楼門あり、開いて内へ入るに、瑠璃の沙厚く、玉の甃暖かにして、落花自ずから繽紛たり、朱楼紫殿玉の欄干金を鐺にし銀を柱とせり、その壮観奇麗いまだかつて目にも見ず、耳にも聞かざりしところなりの読み方
南方熊楠 「十二支考」

...寛延元年の生で、此年五十七歳、蘭軒は二十八歳であつた...   寛延元年の生で、此年五十七歳、蘭軒は二十八歳であつたの読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...「万延元年庚申小春二十八夜三更燈下収筆...   「万延元年庚申小春二十八夜三更燈下収筆の読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...万延元年幕府に召され...   万延元年幕府に召されの読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...万延元年紀州藩に仕へた時は...   万延元年紀州藩に仕へた時はの読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...万延元年に七十六に満たぬことは明白である...   万延元年に七十六に満たぬことは明白であるの読み方
森鴎外 「渋江抽斎」

...石見延元の女(むすめ)であり...   石見延元の女でありの読み方
山本周五郎 「樅ノ木は残った」

...明けて延元三年のこの一月は...   明けて延元三年のこの一月はの読み方
吉川英治 「私本太平記」

...これを延元(えんげん)二年の...   これを延元二年のの読み方
吉川英治 「随筆 私本太平記」

...ずっと後の延元元年...   ずっと後の延元元年の読み方
吉川英治 「随筆 新平家」

...延元(えんげん)の雄(お)たけびを思わすような風の声もして...   延元の雄たけびを思わすような風の声もしての読み方
吉川英治 「梅里先生行状記」

「延元」の読みかた

「延元」の書き方・書き順

いろんなフォントで「延元」


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シュルーズ   中華料理   高々と  

チーズローリングと世界一硬いチーズ

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