...三刃傷(にんじょう)延享(えんきょう)四年八月十五日の朝...
芥川龍之介 「忠義」
...上総国(かずさのくに)山武郡(さんぶぐん)小関村(こぜきむら)で延享二年一月十一日に神保利左衞門貞恒の第三男として生まれたのでした...
石原純 「伊能忠敬」
...余が蔵する画幅に延享三年丙寅仲春夢中庵笠翁八十有四筆(ふで)とあり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
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太宰治 「津軽」
...良固の生涯でもつとも特筆すべきことは、延享二年、通詞西善三郎、吉雄幸右衞門と共に、和蘭文書を讀んでもよろしいといふ特許を得たといふことであらう...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...延享二年といへば日蘭兩國人の接觸が始まつてから百四十餘年を經てゐる...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...この「出定後語」が出來ましたのが延享元年甲子の年で...
内藤湖南 「大阪の町人學者富永仲基」
...柱絵と称する極めて狭長なる板画の様式はフェノロサの研究によれば既に延享(えんきょう)二年頃鳥居清重の作にその実例を見るといへども実際柱にかけ用ゐしは後年の事なりといふ...
永井荷風 「江戸芸術論」
...寛保(かんぽう)延享(えんきょう)の頃の漆絵(うるしえ)紅絵(べにえ)には早くも西洋風の遠近法を用ひて巧(たくみ)に遠見(とおみ)の景色と人物群集の状(じょう)とを描き出(いだ)せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...元文より寛保延享寛延に至る頃奥村政信及(および)その一派の画工は室内の遠景を描ける大板(おおばん)の紅絵(べにえ)漆絵(うるしえ)を出(いだ)せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...有徳院様お代替りの延享四年十月十五日のことでございました...
中里介山 「大菩薩峠」
...「兎園小説」に延享五年――寛延と改元された年の正月十三日の明方...
三田村鳶魚 「物貰ひの話」
...さればカレイも邪視する魚と嫌うた物か[延享二年大阪竹本座初演...
南方熊楠 「十二支考」
...既にして亮が三十歳になつた延享二年に...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...延享中に淡淵は年四十に垂(なんなん)として芋生から名古屋に遷つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...――延享二年十月五日...
山本周五郎 「ひとごろし」
...「偏耳録」に延享三年丑八月と記してあるから...
山本周五郎 「ひとごろし」
...一つは延享年間に...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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