...「幾人かの友達と一緒に出かける」...
...「幾人かの選手が代表に選ばれた」...
...「幾人もの客が店に入ってきた」...
...「幾人もの犠牲者が出た交通事故」...
...「幾人もの人々が希望を持って集まった」...
...幾人かの人たちの心の中にさえ...
ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 「雪の女王」
...そのなかに氏の原稿を貰つて一儲けしようと目論(もくろ)みを立ててゐる出版業者も幾人(いくたり)か交(まじは)つてゐた...
薄田泣菫 「茶話」
...交響楽の演奏者の数を予め作曲家が幾人以上と希望するいわれはないのである...
高村光太郎 「触覚の世界」
...帝政時代には貴族だつたといふ人の家族なども幾人か来てゐました...
田山録弥 「一少女」
...よく見ると顔ぶれの幾人(いくにん)かがかわり...
壺井栄 「二十四の瞳」
...僕の病院でも、幾人も死んだ...
豊島与志雄 「慾」
...そのうちの幾人かは...
アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ Annette von Droste=Hulshoff 番匠谷英一訳 「ユダヤ人のブナの木」
...農商務大臣が幾人変っているか知れぬ...
新渡戸稲造 「教育の目的」
...幾人の血を吸う事か――」空善は冷たい岩に腰をおろして...
野村胡堂 「大江戸黄金狂」
...一菊屋傳右衞門の花見船は、兩國稻荷の下に着けて、同勢男女十幾人、ドカドカと廣小路の土を踏みましたが、「まだ薄明るいぢやないか、橋の上から、もう一度向島を眺め乍(なが)ら、一杯やらう」誰やらそんなことを云ふと、一日の行樂をまだ堪能(たんのう)し切れない貪婪(どんらん)な享樂追及者達は、「そいつは一段と面白からう、酒が殘つて居るから、瓢箪(へうたん)に詰めて、もう一度橋の上に引返さう、人波に揉まれ乍ら、欄干(らんかん)の酒盛なんざ洒落(しや)れて居るぜ」そんな事を言ひ乍ら、氣を揃へて橋の上に引返したのです...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...平次を知つてゐる者が幾人かあり...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...美保子は語るその夜の客三十幾人は...
野村胡堂 「笑う悪魔」
...対手(あいて)の幾人かは頭に鉢巻したり...
長谷川時雨 「西洋の唐茄子」
...幾人かの人から幾たびかきいた...
宮本百合子 「豪華版」
...もう幾人かの客を濟した亂れた髮姿で...
室生犀星 「蒼白き巣窟」
...おれは知らねえが幾人もそれを見た者がいる...
山本周五郎 「さぶ」
...幾人かの女を知っている...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...朱富の若い者が幾人か付いてるだろう...
吉川英治 「新・水滸伝」
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