...お前の様な男は、年が年中、こつこつと仕事さえしていればいいのだ...
江戸川乱歩 「算盤が恋を語る話」
...年が年中二十日鼠のやうに気忙(きぜ)はしく...
薄田泣菫 「茶話」
...年が年中同じ服ばかり着ていないで...
谷崎潤一郎 「痴人の愛」
...君は年が年中其処(そこ)につくねんと立って居るが...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...ただ年が年中足を擂木(すりこぎ)にして...
夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
...あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ...
夏目漱石 「坊っちゃん」
...御金さえありゃ年が年中飛んで歩いてるんだからね...
夏目漱石 「道草」
...次女は年が年中腫物(できもの)だらけの頭をしていた...
夏目漱石 「道草」
...御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして○土佐の西の端に柏島といふ小さな島があつて二百戸の漁村に水産補習学校が一つある...
正岡子規 「病牀六尺」
...さうしてその蒲団は年が年中敷き流しである...
正岡子規 「病牀六尺」
...年が年中昼も夜も寐床に横たはつて...
正岡子規 「病牀六尺」
...年が年中女の話ばかりして...
水上滝太郎 「大阪の宿」
...年が年中寄合ひがあつて...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...私は柳屋の娘というと黄縞(きじま)に黒襟(くろえり)で赤い帯を年が年中していたように印象されている...
水上滝太郎 「山の手の子」
...年が年中貧亡((ママ))に攻められながら「今に何かやって見せるぞ」と云う二十代からの望みをはたすためにあくせくして居た...
宮本百合子 「お久美さんと其の周囲」
...おツと大将、そこぢやて、江戸ツ子はンの間違ひ、いつも其処ぢや、いかにも上方もンは銭勘定が高い、高いがな、そりや日用の生活費か、但し商売上の算盤づくで、てンから帳面に上せて遊びと来たら、はゝゝゝ失礼ぢやが、迚(とて)も東京の人の真似の出来るこツちやない、全体この東京で気が大きいとか、金放れがどうとかいふのは、まづ五円ぐらゐから十円位までの事、お気の毒やが少し手荒いところで、精々二三十円から、六十円、もう百円となれば江戸ツ子はン、ちと困るなア、はゝゝゝよし一夜に二百円ぐらゐ使ふ人もあるやろ、あるやろがな、しかし後が続きまへンぜ、この腰の弱い鼻頭の強い空威張の東京人間が、どう考へても、その全盛を其まゝいつまで根気よく続く筈がおまへン、放蕩は自慢にならンが、月千円づつ費うて丸三年も続けば、この東京で随分、えらいもンになれまンな、はゝゝゝゝちよろ臭い、三円の料理を喫(た)べて六七十銭の釣銭は入らないよ、なンかンて、あほらしい、そンな小さい一時の眼の前ばかりへ勇み肌で、仕込の薄い花火ぢやないが、しゆツと出て、しゆツと消えるやうなもンぢや、年が年中、同じ茶屋で十五年の間、遊び続けたの、いや三十年も来るといふのは大阪で、あンまり珍しうおまへンぜ、とかく上方はな、この東京と正反対で、一度に十円位までの奴は吝嗇(しみた)れて汚ない、しかし一夜に二三十円以上の阿呆になると、これこそ小気味よう図抜けてゐまツせ、雪駄の裏金に小判を付けたり、三日目毎に襦袢から帯から羽織着物は勿論、身辺一切を呉服屋から仕立てさして一年半も続けたといふ奴、八畳敷に三盆白の砂糖を三尺嵩に積ンで月に三度づつ五十人の芸妓を丸裸のまゝ相撲を取らすといふたはけは、現に私の友達にあるこツちや、また放蕩の方は偖置いて、堅い方は事実、この東京で銀行は知らン事、二三万円の現金を十三四の丁稚小僧に持たして其まゝ使に遣る商人が数多おますか、五円紙幣一枚は袂へ紙屑のやうに捻ぢ込んでも、万円以上を豆腐か煎餅を買ひに遣るやうに心易う一人で出せますまい、そこは東京ぢや、江戸ツ子はン胆玉は知れてある、はゝゝゝどうでおます大将、ちと言ひ過ぎましたかな、...
村上浪六 「上方者の啖呵」
...年が年中暗黒の底に埋れている坑夫達にとっては...
夢野久作 「斜坑」
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