...椿岳は芳崖(ほうがい)や雅邦(がほう)と争うほどな巨腕ではなかったが...
内田魯庵 「淡島椿岳」
...また考証の極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが頗(すこぶ)る多かった...
内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
...やはり天才の巨腕を感ずる...
太宰治 「新ハムレット」
...永徳あって秀吉の土木が意味を成したので、永徳がなければ、単なる成金趣味の、粗大なる土木だけのものでした……かように永徳は、狩野の嫡流(ちゃくりゅう)から出たのですから、漢画水墨の技巧は生れながら受けて、早くこれに熟達を加えているのに、大和絵の粋をことごとく消化している、そうしてそれを導く者が、一代の巨人秀吉であり、その秀吉以上の天才信長であったから、惜気もなくカンバスを供給して、そのやりたいだけのことをやらせ、伸ばせるだけの手腕を伸ばさせて、他に制臂(せいひ)を蒙(こうむ)るべき気兼ねというものが少しもない、『画史』によると、松と梅の十丈二十丈の物を遠慮なく金壁の上に走らせている、古来日本の画家で、永徳の如き巨腕を持ったものはあるかも知れないが、その巨腕を、縦横に駆使すべきカンバスを与えられたこと永徳の如きはあるまい...
中里介山 「大菩薩峠」
...あわや車蓋(しゃがい)のうえから巨腕をのばそうとしかけた...
吉川英治 「三国志」
...関羽がやにわに巨腕を伸ばして...
吉川英治 「三国志」
...巨腕を見せて来た僧である...
吉川英治 「新書太閤記」
...いよいよ北宋画の宗(そう)たる巨腕を示したが...
吉川英治 「人間山水図巻」
...巨腕を持った名匠の力量がそこに潜(ひそ)んでいるというほかはない...
吉川英治 「宮本武蔵」
...その非凡な大眼識と巨腕は...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
...よほどの巨腕である...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...これこそ真に写実の何であるかを知っている巨腕の製作である...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...南西航路の打開にはピンソンやソリス以上の巨腕が必要だったのである...
和辻哲郎 「鎖国」
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