...川筋を追って山を下るハイキングが好きです...
...この地域の川筋では釣りが盛んです...
...洪水で川筋の田んぼが水浸しになってしまった...
...建設計画において川筋の調査が必要となる場合がある...
...川筋沿いには美しい景色が広がっていた...
...又(また)川筋(かはすぢ)に接(せつ)した廣場(ひろば)は移動旋風(いどうせんぷう)によつて襲(おそ)はれ易(やす)い...
今村明恒 「地震の話」
...渡良瀬川総体の川筋を浚うということは実に容易ならぬことで...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...部屋から見える川筋にも...
徳田秋声 「爛」
...私は唯両国橋の有無(ゆうむ)にかかわらずその上下(かみしも)に今なお渡場が残されてある如く隅田川その他の川筋にいつまでも昔のままの渡船のあらん事を希(こいねが)うのである...
永井荷風 「日和下駄」
...まさに草木も眠りに落ちている高山の天地――宮川筋にまばゆき二三点の火影(ほかげ)のみがいやになまめかしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...川筋の警戒を申し渡し...
中里介山 「大菩薩峠」
...段々大川筋を溯上(さかのぼ)つて...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...竪川筋のとある材木小屋につれ込まれたお登世が...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...江東一帶は工業地區となり、隅田川は機械油を流しうかべる現今こそ、金の集散は著しいであらうが、昔の大川筋に、物資の力と花火の發達なぞといふのはをかしいやうだが、武藏と下總の國境(くにざかひ)を、渡し舟が人を運んだ人煙稀薄(じんゑんきはく)な大昔(おほむかし)はとにかくとして、あれだけの橋が幾筋も出來上るには、かけなければならない交通と、物資のふくらみとがあつたわけだ...
長谷川時雨 「花火と大川端」
...隅田川筋一帶がさうではあるが...
長谷川時雨 「花火と大川端」
...うねり曲った川筋を見せることであった...
本庄陸男 「石狩川」
...「けれども近来彼の川筋も巡航船または川蒸汽の為に暴されて...
正岡容 「大正東京錦絵」
...川筋によって鮨に適する鮎と外の料理に適する鮎と品が違う事は本文の方に委(くわ)しく出(だし)ております...
村井弦斎 「食道楽」
...後に川筋が変り、崖崩れがあったために寺はなくなり、神橋だけが残ったわけだが、以前は上州館林の旧藩主、秋元子爵家の菩提所になっていた...
柳田国男 「故郷七十年」
...思川の川筋には(下野上都賀郡)板荷(いたが)村字川化(かわばけ)または大川化などと化けるという字が当ててある...
柳田國男 「地名の研究」
...川筋の軒並みを洗ってあるいているそうだ...
吉川英治 「大岡越前」
...浅野内匠頭(たくみのかみ)七ツちがい春の生理をみなぎらした川筋の満潮(みちしお)が...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...この間出入りの鰻(うなぎ)かきが大川筋で旅の者を助けてきて...
吉川英治 「鳴門秘帖」
便利!手書き漢字入力検索