...西山翠嶂さんの容子や言葉扱いが...
上村松園 「絹と紙の話と師弟の間柄の話」
...橋本関雪土田麦僊西山翠嶂西村五雲石崎光瑤徳岡神泉小野竹喬金島桂華加藤英舟池田遙邨八田高容森 月城大村広陽神原苔山東原方僊三木翠山山本紅雲「栖鳳先生の偉大さは?」と訊かれたら...
上村松園 「三人の師」
...その後気がつきますと西山(翠嶂)さんが莨を喫んで居られるとその手付きが先生にそっくりなのに驚いたこともあります...
上村松園 「昔のことなど」
...南穂高の南東隅に当る赭(しゃ)色の絶嶂(ぜっしょう)...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...左(ゆ)ん手(で)の嶂壁の下に沿うて登る...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...この嶂壁の中間にある幾条かの割目を探り...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...右手嶂壁の下には...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...後ろより右へかけたる嶂壁を禊岩といふ...
大町桂月 「妙義山の五日」
...後ろを顧みれば、禊岩も見え、それの上の同じ方向に、一大嶂壁あり...
大町桂月 「妙義山の五日」
...前を見れば、嶂壁の間、巨巖ありて、勢、飛ばむと欲す...
大町桂月 「妙義山の五日」
...八合目ぐらゐより嶂壁突つ立ちて...
大町桂月 「妙義山の五日」
...近頃めつきりと評判を揚げたのは西山翠嶂氏である...
薄田泣菫 「茶話」
...見えているはずであるが群峰畳嶂の中にあるから...
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」
...剱岳列嶂(後立山布引より)序これは私の前著「山岳渇仰」――戦時最悪の条件下で生れた――に次ぐ第二集で...
中村清太郎 「ある偃松の独白」
...流れの末には、黒部の大深谷を隔てて、滝倉から劔、立山の列嶂壁が、ずらりと立ち並ぶ...
中村清太郎 「ある偃松の独白」
...『人類学会雑誌』二二六号に、高山青嶂氏は、屋久島永田神社の祠官古市熊護氏の報告を引いて、この島涅歯(でっし)の風習を述べて曰く「古来未染の女子もし懐姙するときは、鍛冶屋神に詣で賽銭(さいせん)を奉納し、銕糞を申し請けて帰り、これに唐竹の葉と柳の葉とを混じて器に入れ水を注ぎて煎(せん)じその女に飲ましむ...
柳田國男 「地名の研究」
...山嶂(さんしょう)の塁壁(るいへき)望楼(ぼうろう)はすべて風化し...
吉川英治 「三国志」
...ほか幾ツもの小さい嶂巒(しょうらん)や峰が...
吉川英治 「私本太平記」
便利!手書き漢字入力検索
聖母マリア