...「嵯峨日記」を上演するにつき...
高浜虚子 「六百句」
...せめて嵯峨の奧にありと聞く瀧口が庵室に訪(おとづ)れて我が誠の心を打明(うちあ)かさばやと...
高山樗牛 「瀧口入道」
...嵯峨野も何時(いつ)しか奧になりて...
高山樗牛 「瀧口入道」
...相手の女は嵯峨あたりの僧侶の娘で...
武田麟太郎 「現代詩」
...それで嵯峨の彼女の寺まで行つて私立探偵のやうに問合せて廻つた...
武田麟太郎 「現代詩」
...帰りに御室の仁和寺(にんなじ)の前を通ったので、まだ厚咲きの桜には間があることが分っていたけれども、せめて枝の下にでも休息して木(き)の芽田楽(めでんがく)をたべるだけでもと、幸子は貞之助を促して境内に這入(はい)ったが、ぐずぐずしていて日が暮れると、又もう一晩泊りたくなることが、毎度の経験で知れているので、嵯峨にも、八瀬大原にも、清水(きよみず)にも、方々に心を残しながら、七条駅に駈(か)け付けたのはその日の五時少し過ぎであった...
谷崎潤一郎 「細雪」
...嵯峨(さが)天皇の弘仁年間に出来たもので...
橋本進吉 「古代国語の音韻に就いて」
...九七五調の句独鈷(どくこ)鎌首水かけ論の蛙かな売卜先生木の下闇の訪はれ顔花散り月落ちて文こゝにあら有難や立ち去る事一里眉毛(びまう)に秋の峰寒し門前の老婆子薪(たきぎ)貪(むさぼ)る野分かな夜桃林を出でゝ暁嵯峨(さが)の桜人五八五調...
正岡子規 「俳人蕪村」
...その例嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮れし一行の雁(かり)や端山(はやま)に月を印す朝顔や手拭(てぬぐい)の端の藍をかこつ水かれ/″\蓼(たで)かあらぬか蕎麦か否か柳散り清水涸(か)れ石ところ/″\我をいとふ隣家寒夜に鍋をならす霜百里舟中(しゅうちゅう)に我月を領すその外調子のいたく異なりたる者あり...
正岡子規 「俳人蕪村」
...嵯峨(さが)の御堂(みどう)の念仏の日を待ってはじめて出かけられるのであったから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「女では太政大臣が嵯峨(さが)の山荘に置いておく人というのが非常に巧(うま)いそうですね...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...御堂のあたりの嵯峨野の秋のながめの美しさに半分は心が惹(ひ)かれて集まった人なのであろうが...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...霞亭が嵯峨幽棲の後となる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...後嵯峨天皇(ごさがてんのう)がある...
吉川英治 「私本太平記」
...さきの後嵯峨のむりな御作為も...
吉川英治 「私本太平記」
...後嵯峨(ごさが)法皇のご祈願所...
吉川英治 「私本太平記」
...嵯峨(さが)の花見か...
吉川英治 「新書太閤記」
...この嵯峨源氏の嫡子も...
吉川英治 「平の将門」
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