...さらに上流の毛野村から岩崎佐十...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...雲龍寺の事務所では、正月早々総代を東京へ送ることに決し、長谷川定次郎、岩崎佐十、木村勇吉、持斎茂吉、桜井与惣治、横塚治三久、野口春蔵、谷口房吉、野口源蔵、越波丑次郎、井田兵吉等が上京して請願運動に奔走した...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...東京島田三郎宅にて――正造」終りの方をうんうんと呻るような息遣いで書き終えると畳の上にたまった巻紙をはね返し、大出善平君、野口春蔵君、亀井朋治君、松本英一君、糸井藤次郎君、岩崎佐十君、小野寺君、山崎次郎君、青木君、谷野君、木村君と並べて宛名を書きつらねた...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道(さかみち)を塞(ふさ)いでゐた...
夏目漱石 「それから」
...岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道を塞(ふさ)いでいた...
夏目漱石 「それから」
...岩崎(いわさき)の塀(へい)が冷酷に聳(そび)えている...
夏目漱石 「野分」
...岩崎の塀(へい)なんか何でもない...
夏目漱石 「野分」
...または三井とか岩崎とかいう豪商(ごうしょう)が...
夏目漱石 「私の個人主義」
...岩崎も一年志願兵で旭川へ入営したし...
野口雨情 「札幌時代の石川啄木」
...岩崎灌園(いわさきかんえん)の『本草図譜』にもその図を載せ...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...この二条は岩崎邸の内に中心を有した圏を画(えが)いている...
森鴎外 「雁」
...深浦、岩崎、森山のあたりまでくると、もう七里の長浜が波の上に浮かんで見える...
柳田国男 「雪国の春」
...前代議士岩崎惣十郎氏令孃うた子君も醫學士夫人として神田に居るから...
横瀬夜雨 「女子文壇の人々」
...吉川元春の陣地岩崎山までは僅か一里...
吉川英治 「新書太閤記」
...――岩崎山、大上山、賤ヶ嶽、田上山、木之本などの第二陣地区にわたる広範囲なもので、当然、延(のべ)何十万人もの労員を要する...
吉川英治 「新書太閤記」
...(中入(なかい)りの一挙は、首尾上々、味方の大勝に帰したとはいえ、なお賤ヶ嶽、岩崎山、堀秀政の東野山より堂木(だんぎ)へわたる敵のうごきも定かでない...
吉川英治 「新書太閤記」
...(総数一万三千八百人)小松寺山(こまつでらやま)三好秀次(みよしひでつぐ)(兵、九千七百人)外久保山(そとくぼやま)丹羽長秀(にわながひで)(兵、三千五百人)内久保山(うちくぼやま)蜂屋頼隆(はちやよりたか)、金森長近(かなもりながちか)(三千人)そのほか、岩崎山、青塚、小口(こぐち)、曼陀羅寺(まんだらじ)などの陣々をあわせて、ざっと総兵力約八万八千と称(とな)えられている...
吉川英治 「新書太閤記」
...岩崎の二つのツナギ城が...
吉川英治 「新書太閤記」
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