例文・使い方一覧でみる「岩代」の意味


スポンサーリンク

...磐城の南部より岩代の南部に通ずる路に當る...   磐城の南部より岩代の南部に通ずる路に當るの読み方
大町桂月 「阿武隈川水源の仙境」

...岩代の山岳に残雪の殆んど存在しないに驚いたが...   岩代の山岳に残雪の殆んど存在しないに驚いたがの読み方
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」

...附記、平ヶ岳はヒラダケとも呼ぶものあり、けだし山巓(さんてん)平坦なるより名を得たるものならん、この山は各種の地理書に漏(も)れたれば、明治の初年には知るものなかりしが如し、それより新式の鉄砲の渡来してより、越後、岩代、上野の猟夫が次第に深山に入り、この山の特殊の山容によりてかく呼びしにあらざるか、この山の地図に露(あらわ)れたるものは、明治二十一年刊行農商務省地質調査所の日光図幅なりとす、その一年前に刊行されたる、陸地測量部の輯製二十万分一図日光図幅には、中岳と記されたり、誤記か誤植かとも思わるれども、余が『日本山嶽誌』刊行の時に、群馬県統計書の山岳部を一覧せしに、魚沼の駒ヶ岳を上野の国界の如くに記されたるやに記憶せり、既に測量部または調査所の二十万分一図出でてより十年近くなりたるに、なお訂正せざる県庁の迂闊(うかつ)にも呆(あき)るれども、その県庁等より十年前に提出せし材料を輯製したるもの故、駒ヶ岳よりも高くしてかつ南に在(あ)る中ノ岳を、上野界に認めしやも知るべからず、同図の只見川以西の国界には西より数えて、荒沢岳、白沢岳、中岳、鶴ヶ岳とありて、鶴ヶ岳を北、南魚沼の郡界となし、鶴ヶ岳より北方に走れる山脈中に、中ノ岳、駒ヶ岳の諸山を描きたり、この図と同年に刊行されたる地質調査所の四十万分一予察図もまた鶴ヶ岳を以て郡界を北走せる山脈の起点とせり、以後鶴ヶ岳を境界とせるものすこぶる勢力あり、翌年に刊行されたる調査所の日光図幅には、只見川以西の国界を西より数えて、入岩岳 2008 平岳 2170 とありて、平岳を北、南魚沼郡界の東に記され、郡界普近(ふきん)(会津図幅も参照せり)には鶴ヶ岳の山名を欠けり、こは殆んど現今の地図に斉(ひと)しきものにして、入岩岳とは鶴ヶ岳のことなり、鶴ヶ岳の称呼は越後方面の名なるが如く、檜枝岐の者は何岩(昨年の手帳を紛失して失念せり)と呼べり、けだし鶴ヶ岳は古生層と花崗岩地に噴出せる輝石安山岩にして、山勢附近の山岳に異なるを以ての故ならん、昨年刊行されたる測量部の五万分一図出でて、地形はじめて明瞭となり、平ヶ岳(平岳に作る)を八海山図幅に、鶴ヶ岳(影鶴山に作る)を藤原図幅に収めたり、地質調査所の二十万分一詳図は、いまだ全部の完結せざる故にや、地理学者の多くは同所の予察図に拠(よ)り、約三十年前に出版されたる日光図幅の正確なるものに採(と)らずして、『大日本地誌』の如きも平ヶ岳を省きて、鶴ヶ岳を載せたり、かくの如く鶴ヶ岳の名はかなりの勢力ありてまた好名称なれば、余は出所も知れざる新名称の影鶴山を避けて、鶴ヶ岳の名を用うるものなり...   附記、平ヶ岳はヒラダケとも呼ぶものあり、けだし山巓平坦なるより名を得たるものならん、この山は各種の地理書に漏れたれば、明治の初年には知るものなかりしが如し、それより新式の鉄砲の渡来してより、越後、岩代、上野の猟夫が次第に深山に入り、この山の特殊の山容によりてかく呼びしにあらざるか、この山の地図に露れたるものは、明治二十一年刊行農商務省地質調査所の日光図幅なりとす、その一年前に刊行されたる、陸地測量部の輯製二十万分一図日光図幅には、中岳と記されたり、誤記か誤植かとも思わるれども、余が『日本山嶽誌』刊行の時に、群馬県統計書の山岳部を一覧せしに、魚沼の駒ヶ岳を上野の国界の如くに記されたるやに記憶せり、既に測量部または調査所の二十万分一図出でてより十年近くなりたるに、なお訂正せざる県庁の迂闊にも呆るれども、その県庁等より十年前に提出せし材料を輯製したるもの故、駒ヶ岳よりも高くしてかつ南に在る中ノ岳を、上野界に認めしやも知るべからず、同図の只見川以西の国界には西より数えて、荒沢岳、白沢岳、中岳、鶴ヶ岳とありて、鶴ヶ岳を北、南魚沼の郡界となし、鶴ヶ岳より北方に走れる山脈中に、中ノ岳、駒ヶ岳の諸山を描きたり、この図と同年に刊行されたる地質調査所の四十万分一予察図もまた鶴ヶ岳を以て郡界を北走せる山脈の起点とせり、以後鶴ヶ岳を境界とせるものすこぶる勢力あり、翌年に刊行されたる調査所の日光図幅には、只見川以西の国界を西より数えて、入岩岳 2008 平岳 2170 とありて、平岳を北、南魚沼郡界の東に記され、郡界普近には鶴ヶ岳の山名を欠けり、こは殆んど現今の地図に斉しきものにして、入岩岳とは鶴ヶ岳のことなり、鶴ヶ岳の称呼は越後方面の名なるが如く、檜枝岐の者は何岩と呼べり、けだし鶴ヶ岳は古生層と花崗岩地に噴出せる輝石安山岩にして、山勢附近の山岳に異なるを以ての故ならん、昨年刊行されたる測量部の五万分一図出でて、地形はじめて明瞭となり、平ヶ岳を八海山図幅に、鶴ヶ岳を藤原図幅に収めたり、地質調査所の二十万分一詳図は、いまだ全部の完結せざる故にや、地理学者の多くは同所の予察図に拠り、約三十年前に出版されたる日光図幅の正確なるものに採らずして、『大日本地誌』の如きも平ヶ岳を省きて、鶴ヶ岳を載せたり、かくの如く鶴ヶ岳の名はかなりの勢力ありてまた好名称なれば、余は出所も知れざる新名称の影鶴山を避けて、鶴ヶ岳の名を用うるものなりの読み方
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」

...昨年の小屋は岩代の地籍にあったが...   昨年の小屋は岩代の地籍にあったがの読み方
高頭仁兵衛 「平ヶ岳登攀記」

...万治二年二月には、岩代、下野、武蔵に大きな地震があった...   万治二年二月には、岩代、下野、武蔵に大きな地震があったの読み方
田中貢太郎 「日本天変地異記」

...岩代半國と代へようと申込んだが...   岩代半國と代へようと申込んだがの読み方
野村胡堂 「錢形平次捕物控」

...岩代より直にせるのは...   岩代より直にせるのはの読み方
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」

...白河の関の外なる湖の秋の月夜となりにけるかな十一年の仲秋岩代に遊び猪苗代湖に泊して詠んだ歌の一つ...   白河の関の外なる湖の秋の月夜となりにけるかな十一年の仲秋岩代に遊び猪苗代湖に泊して詠んだ歌の一つの読み方
平野萬里 「晶子鑑賞」

...越中(えっちゅう)や岩代(いわしろ)に見事なのを見かけた...   越中や岩代に見事なのを見かけたの読み方
柳宗悦 「蓑のこと」

...(ヘ)里方・野方 岩代岩瀬郡白方(しらかた)村大字守屋字里守屋及び野守屋...   里方・野方 岩代岩瀬郡白方村大字守屋字里守屋及び野守屋の読み方
柳田國男 「地名の研究」

...岩代信夫(しのぶ)郡庭坂村大字町庭坂及び庭塚村大字在庭坂...   岩代信夫郡庭坂村大字町庭坂及び庭塚村大字在庭坂の読み方
柳田國男 「地名の研究」

......   の読み方
柳田國男 「地名の研究」

...常陸結城(ゆうき)郡大花羽(おおはなわ)村大字花島字悪戸上野利根郡桃野村大字月夜野字悪戸武蔵比企(ひき)郡宮前村大字羽尾字悪戸岩代信夫郡土湯村字悪戸尻陸前登米(とめ)郡米谷(まいや)町大字米谷字悪戸原美濃武儀(むぎ)郡北武芸(きたむげ)村字悪土向上野邑楽(おうら)郡のアクトは今ことごとく悪途と書き(邑楽郡誌)...   常陸結城郡大花羽村大字花島字悪戸上野利根郡桃野村大字月夜野字悪戸武蔵比企郡宮前村大字羽尾字悪戸岩代信夫郡土湯村字悪戸尻陸前登米郡米谷町大字米谷字悪戸原美濃武儀郡北武芸村字悪土向上野邑楽郡のアクトは今ことごとく悪途と書きの読み方
柳田國男 「地名の研究」

...岩手県下閉伊(しもへい)郡小国村)更に岩代(いわしろ)二本松の町の近く塩沢村の機織御前の話などは...   岩手県下閉伊郡小国村)更に岩代二本松の町の近く塩沢村の機織御前の話などはの読み方
柳田國男 「日本の伝説」

...そうして「医療器械」と大きく「岩代屋(いわしろや)――電日二〇二〇三」と小さく明朝体で書いた白地の看板を見上げたまま暫くの間突っ立っていた...   そうして「医療器械」と大きく「岩代屋――電日二〇二〇三」と小さく明朝体で書いた白地の看板を見上げたまま暫くの間突っ立っていたの読み方
夢野久作 「殺人迷路」

...福島駅を離れた汽車が岩代(いはしろ)から羽前へ越えようとして大きな峠へかゝる...   福島駅を離れた汽車が岩代から羽前へ越えようとして大きな峠へかゝるの読み方
若山牧水 「渓をおもふ」

...又利根岳より尾瀬沼即ち岩代と上野の国境に出(い)でんにも亦十余日を要(えう)すべし...   又利根岳より尾瀬沼即ち岩代と上野の国境に出でんにも亦十余日を要すべしの読み方
渡邊千吉郎 「利根水源探検紀行」

...曾(かつ)て聞(き)く沼岸には岩代上野の県道即ち会津(あいづ)街道(かいどう)ありて...   曾て聞く沼岸には岩代上野の県道即ち会津街道ありての読み方
渡邊千吉郎 「利根水源探検紀行」

「岩代」の読みかた

「岩代」の書き方・書き順

いろんなフォントで「岩代」


ランダム例文:
潜水艦   署名運動   人海戦術で  

簡単&無料!手書きフォント変換ツールの使い方ガイド

便利!手書き漢字入力検索

この漢字は何でしょう?

👨話題の人々👩
「推し」を登録

時事ニュース漢字 📺
建設的   緊急安全確保   近日中  

スポンサーリンク

トップへ戻る