...会合したる山なり...
宇野浩二 「それからそれ」
...近く尖り立てるは高宕山なり...
大町桂月 「鹿野山」
...天邊に桃の割れたるが如きは大福山なり...
大町桂月 「鹿野山」
...みな寄生火山なり...
大町桂月 「冬の榛名山」
...館山灣より北にあたりて、眼に見ゆる群山の中にて、最も高く、頂上のとがりて見ゆるは、即ち、この富山なり...
大町桂月 「房州の一夏」
...その上でこの山はこの山なりの文化がゆっくり育つだろう...
高村光太郎 「山の春」
...之れ太田の金山なり...
長塚節 「草津行」
...当の又右衛門ならずして神田一山なりとされている...
正岡容 「我が圓朝研究」
...やはりそこの山なり谷なりにまず訊いて...
三澤勝衛 「自力更生より自然力更生へ」
...松至て多く幽鬱の山なり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...直にのぼる山乃(すなはち)勝山なり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...渓川の向いは炭(すみ)焼(や)く人の往来する山なりという...
森鴎外 「みちの記」
...首陽山なり...
箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...島中第一の高山なりと大槻氏『風土記』に見ゆとある...
柳田國男 「地名の研究」
...山口の村に近き二(ふた)ツ石山(いしやま)は岩山なり...
柳田国男 「遠野物語」
...とにかく早池峯は安倍貞任にゆかりある山なり...
柳田国男 「遠野物語」
...もっと古くは、大宝年中、役(えん)の小角(おづの)が、嵯峨(さが)山の奥に住みたもうとあるは、この御山なりと、申す説などもございまして、修験者(しゅげんじゃ)たちにいわせると、いまでもなお当山には天狗が棲んでおると、真(まこと)しやかに奇蹟を説(と)いて、少しも疑いを容(い)れませぬ」耳をかしているのかいないのか、その長いはなしの間を、光秀は拝殿の奥にゆらぐ神(み)あかしを見つめていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...山なりに海へ傾斜している半島の突角(とっかく)だった...
吉川英治 「源頼朝」
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