...御台所さまはそれを聞いて、え堪へず、泣き伏しておしまひになりましたが、尼御台さまは、なほも将軍家のお顔から眼をそらさず静かな御口調で、ご存じかの、とあのお方にお尋ねなさるのでございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...お傍のお方たちは、みんなその事には気附かぬ振りをしてゐたのですが、尼御台さまは、そのとき平気で言ひ出されましたので、私たちは色を失ひ生きた心地も無かつたのでございます...
太宰治 「右大臣実朝」
...尼御台所の御方に申合せらるるの処...
太宰治 「右大臣実朝」
...」尼御台さまは軽く即座におつしやいました...
太宰治 「右大臣実朝」
...内々手をまはして尼御台さまに訴へ申し上げたので妙に気まづい事になつてしまひました...
太宰治 「右大臣実朝」
...尼御台さまにもいたく御懸念の御様子にございまする...
太宰治 「右大臣実朝」
...やはり尼御台さまのお計ひに依り...
太宰治 「右大臣実朝」
...御落飾がおすみになつてから尼御台さまに連れられて将軍家へ御挨拶に見えられ...
太宰治 「右大臣実朝」
...」と尼御台さまは...
太宰治 「右大臣実朝」
...ソレダケガ生キル道デス尼御台さまは...
太宰治 「右大臣実朝」
...将軍家並びに尼御台所...
太宰治 「右大臣実朝」
...尼御台所並びに御台所等営中を去り...
太宰治 「右大臣実朝」
...その破格の御朝恩に感泣いたすべきところを尼御台さまは...
太宰治 「右大臣実朝」
...」「尼御台さままで...
太宰治 「右大臣実朝」
...さうして、そのとしも、また翌年の建保六年も、将軍家の御驕奢はつのるばかり、和歌管絃の御宴は以前よりさらに頻繁になつたくらゐで、夜を徹しての御遊宴もめづらしくは無く、またその頃から鶴岳宮の行事やもろもろの御仏事に当つてさへ、ほとんど御謙虚の敬神崇仏の念をお忘れになつていらつしやるのではないかと疑はれるほど、その御儀式の外観のみをいたづらに華美に装ひ、結構を尽して盛大に取行はせられ、尼御台さまも、相州さまも入道さまも、いまは何事もおつしやらず、ことに尼御台さまに於いては、世上往々その専横を伝へられながらこの将軍家に対してだけはあまりそのやうな御形跡も見受けられず、まさかあの不埒な禅師さまの言ふやうに、将軍家をお生れになつた時からの白痴と思召されてゐたわけでもございますまいに、前将軍家左金吾禅室さまの御時やら、当将軍家御襲職の前後には、なかなか御活躍なさつたものでございましたさうで、また当将軍家があの恐しい不慮の御遭難に依つておなくなりになられたのち、ふたたび急にあらはに御政務にお口出しなさるやうになつて、尼将軍などと言はれるやうになつたのも、実にその頃からの事のやうでございますが、けれども、この将軍家の頃には、前にもちよつと申し上げましたやうにひたすら左金吾禅室さまの御遺児をお守りして優しい御祖母さまになり切つて居られたやうにさへ見受けられ、当将軍家御成人の後には御政務へ直接お口出しなさつた事などほとんど無く、この建保五、六年の将軍家の御奢侈をさへ厳しくおいさめ申したといふ噂を聞かず、かへつてその華美を尽した絢爛の御法要などに御台所さまと御一緒にお見えになつて、御機嫌も、うるはしい御模様に拝され、それは決して当将軍家の事を白痴だなどと申してあきらめていらつしやる故ではなく、心から御信頼あそばしていらつしやるからこそ、このやうな淡泊の御態度をお示しになる事も出来るのであらうと、私たちと致しましては、なんとしても、そのやうにしか思はれなかつたのでございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...お傍の人たちは、みんなその事には気附かぬ振りをしていたのですが、尼御台さまは、そのとき平気で言い出しましたので、私たちは色を失い生きた心地も無かったのでございます...
太宰治 「鉄面皮」
...尼御台さまに連れられて将軍家へ御挨拶に見えられ...
太宰治 「鉄面皮」
...尼御台(あまみだい)に油を取られたのでもなかッたか...
二葉亭四迷 「浮雲」
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