例文・使い方一覧でみる「尊敬する」の意味


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...その誤謬をさへも尊敬する...   その誤謬をさへも尊敬するの読み方
阿部次郎 「三太郎の日記 第三」

...此上なく尊敬する一教育者の手から...   此上なく尊敬する一教育者の手からの読み方
石川啄木 「雲は天才である」

...私の尊敬する白柳秀湖...   私の尊敬する白柳秀湖の読み方
石原莞爾 「最終戦争論」

...独り名誉上に認めて尊敬するまでであって...   独り名誉上に認めて尊敬するまでであっての読み方
大隈重信 「勢力の中心を議会に移すべし」

...終には如何なる馬鹿げた事でも自分の尊敬する人から説き聞かされると...   終には如何なる馬鹿げた事でも自分の尊敬する人から説き聞かされるとの読み方
丘浅次郎 「疑ひの教育」

...(二) 四人のひとを尊敬する四月廿二日の朝...    四人のひとを尊敬する四月廿二日の朝の読み方
太宰治 「當選の日」

...自分は広間の真中に立ってこの雄大な画(え)を描いた昔の日本人を尊敬する事を...   自分は広間の真中に立ってこの雄大な画を描いた昔の日本人を尊敬する事をの読み方
夏目漱石 「行人」

...わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである...   わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものであるの読み方
夏目漱石 「吾輩は猫である」

...他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから...   他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですからの読み方
夏目漱石 「私の個人主義」

...クモヒトデ、フジツボ、クサコケ虫等のように、船底に附着棲息して、船の速度を落とし、重量を増して、燃料に影響を及ぼし、船体を害する生物の研究に、その生涯を賭けているそうだが、私はその青年の情熱を、尊敬する...   クモヒトデ、フジツボ、クサコケ虫等のように、船底に附着棲息して、船の速度を落とし、重量を増して、燃料に影響を及ぼし、船体を害する生物の研究に、その生涯を賭けているそうだが、私はその青年の情熱を、尊敬するの読み方
長谷健 「天草の春」

...「僕は女というものをどうしても尊敬する気にはなれないね...   「僕は女というものをどうしても尊敬する気にはなれないねの読み方
浜尾四郎 「殺人鬼」

...私の最も尊敬する方でございます...   私の最も尊敬する方でございますの読み方
林芙美子 「蒼馬を見たり」

...少くとも我が尊敬する父母に...   少くとも我が尊敬する父母にの読み方
水上瀧太郎 「貝殼追放」

...鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書いた本を見たが、日本人がアアリア人種だと云ふ論斷がしてある、そしてその理由として擧げてある言語學上の事實が、間口ばかり廣くて手薄である、學者はあんな輕卒な論斷をしては困るぢやないか、」かう云ふと、上田君が愛敬のある疊なり合つた齒を見せて、意味ありげに笑つた、「田口さんは僕の親類だ、」此時私は始て田口上田兩家の關係を知つた、そして鼎軒先生が幾分か自分に接近して來られたやうに感じた、その後幾年か立つた、或る日又上田君が來て話してゐる間に、かう云はれた、「今度田口の子が卒業して君の部下になるから、どうぞ使つて遣つてくれ給へ、」これが文太さんが陸軍の藥劑官になつた時の事であつた、それから何處やらまだ坊つちやんらしい處の殘つてゐる文太さんに、役所でも役所の外でも次第に心安くなつて、間接に故人鼎軒先生に接近するやうな心持がして來た、彼此するうち、先生の七囘忌が來た、そこで上田君からも文太さんからも、私に何か言へと云ふことである、私は何を言つたら好からう、先生には公生涯と云ふ一面と、學者の經歴と云ふ一面とがある、公生涯の方は私は餘り縁遠いから、何とも云ひ兼ねる、只學者としての鼎軒先生に就いて、大體の事が云ひたい、併しかう引離して、先生の一面丈を説くと云ふことは、稍無理になりはすまいかと思はれる、それは先生の公生涯と學者生涯とは密接してゐるからである、先生のあらゆる學問上の意見には、デモクラチイの影でないまでも、デモクラチスムの影を印してゐる、それで官學と違ふ、此點から言ふと、鼎軒先生の學問は福澤先生に近い、私は一般の人格の上から、兩先生を軒輊しようとは思はない、併し學問に於いては、鼎軒先生の勝つてゐられる處がある、私はそれが言ひたい、私は日本の近世の學者を一本足の學者と二本足の學者とに分ける、新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國である、そこで東洋の文化に立脚してゐる學者もある、西洋の文化に立脚してゐる學者もある、どちらも一本足で立つてゐる、一本足で立つてゐても、深く根を卸した大木のやうにその足に十分力が入つてゐて、推されても倒れないやうな人もある、さう云ふ人も、國學者や漢學者のやうな東洋學者であらうが西洋學者であらうが、有用の材であるには相違ない、併しさう云ふ一本足の學者の意見は偏頗である、偏頗であるから、これを實際に施すとなると差支を生ずる、東洋學者に從へば、保守になり過ぎる、西洋學者に從へば、急激になる、現にある許多の學問上の葛藤や衝突は此二要素が爭つてゐるのである、そこで時代は別に二本足の學者を要求する、東西兩洋の文化を、一本づゝの足で蹈まへて立つてゐる學者を要求する、眞に穩健な議論はさう云ふ人を待つて始て立てられる、さう云ふ人は現代に必要なる調和的要素である、然るにさう云ふ人は最も得難い、日本人に取つては、漢學をすると云ふことが、既に外國の古代文學を學ぶのである、西洋人が希臘羅馬の文學を學ぶと同等の難事である、その上に又西洋の學問をしなくてはならない、それも單にポリグロツトな人には比較的容易になられよう、猶進んで西洋の文化が眞に味はれるやうにならうと云ふのは隨分過大な望みである、私は鼎軒先生を、この最も得難い二本足の學者として、大いに尊敬する、先生が一本の足で西洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、他の一本の足で東洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、それを一々具體的に研究するのは、頗る興味のある問題であらう、憾むらくは私は今それ程の餘裕を有せない、只大體から見れば、先生の重點は西洋文化の地面に落ちてゐた、併し隨分幅廣く股を開いて、東洋文化の地面をも蹈んでゐられた、先生は西洋文化の眼を以て東洋文化を觀察して、彼を我に移して、我の足らざる所を、補はうとしてゐられた、先生は此意味に於いて種子を蒔いた人である、併し其苗は苗の儘でゐる、存外生長しない、それは二本足の學者でなくては先生の後繼者となることが出來ないからである、その二本足の學者が容易に出て來ないからである、そして世間では一本足同士が、相變らず葛藤を起したり、衝突し合つたりしてゐる、...   鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書いた本を見たが、日本人がアアリア人種だと云ふ論斷がしてある、そしてその理由として擧げてある言語學上の事實が、間口ばかり廣くて手薄である、學者はあんな輕卒な論斷をしては困るぢやないか、」かう云ふと、上田君が愛敬のある疊なり合つた齒を見せて、意味ありげに笑つた、「田口さんは僕の親類だ、」此時私は始て田口上田兩家の關係を知つた、そして鼎軒先生が幾分か自分に接近して來られたやうに感じた、その後幾年か立つた、或る日又上田君が來て話してゐる間に、かう云はれた、「今度田口の子が卒業して君の部下になるから、どうぞ使つて遣つてくれ給へ、」これが文太さんが陸軍の藥劑官になつた時の事であつた、それから何處やらまだ坊つちやんらしい處の殘つてゐる文太さんに、役所でも役所の外でも次第に心安くなつて、間接に故人鼎軒先生に接近するやうな心持がして來た、彼此するうち、先生の七囘忌が來た、そこで上田君からも文太さんからも、私に何か言へと云ふことである、私は何を言つたら好からう、先生には公生涯と云ふ一面と、學者の經歴と云ふ一面とがある、公生涯の方は私は餘り縁遠いから、何とも云ひ兼ねる、只學者としての鼎軒先生に就いて、大體の事が云ひたい、併しかう引離して、先生の一面丈を説くと云ふことは、稍無理になりはすまいかと思はれる、それは先生の公生涯と學者生涯とは密接してゐるからである、先生のあらゆる學問上の意見には、デモクラチイの影でないまでも、デモクラチスムの影を印してゐる、それで官學と違ふ、此點から言ふと、鼎軒先生の學問は福澤先生に近い、私は一般の人格の上から、兩先生を軒輊しようとは思はない、併し學問に於いては、鼎軒先生の勝つてゐられる處がある、私はそれが言ひたい、私は日本の近世の學者を一本足の學者と二本足の學者とに分ける、新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國である、そこで東洋の文化に立脚してゐる學者もある、西洋の文化に立脚してゐる學者もある、どちらも一本足で立つてゐる、一本足で立つてゐても、深く根を卸した大木のやうにその足に十分力が入つてゐて、推されても倒れないやうな人もある、さう云ふ人も、國學者や漢學者のやうな東洋學者であらうが西洋學者であらうが、有用の材であるには相違ない、併しさう云ふ一本足の學者の意見は偏頗である、偏頗であるから、これを實際に施すとなると差支を生ずる、東洋學者に從へば、保守になり過ぎる、西洋學者に從へば、急激になる、現にある許多の學問上の葛藤や衝突は此二要素が爭つてゐるのである、そこで時代は別に二本足の學者を要求する、東西兩洋の文化を、一本づゝの足で蹈まへて立つてゐる學者を要求する、眞に穩健な議論はさう云ふ人を待つて始て立てられる、さう云ふ人は現代に必要なる調和的要素である、然るにさう云ふ人は最も得難い、日本人に取つては、漢學をすると云ふことが、既に外國の古代文學を學ぶのである、西洋人が希臘羅馬の文學を學ぶと同等の難事である、その上に又西洋の學問をしなくてはならない、それも單にポリグロツトな人には比較的容易になられよう、猶進んで西洋の文化が眞に味はれるやうにならうと云ふのは隨分過大な望みである、私は鼎軒先生を、この最も得難い二本足の學者として、大いに尊敬する、先生が一本の足で西洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、他の一本の足で東洋の文化をどれ丈しつかり蹈まへてゐられたか、それを一々具體的に研究するのは、頗る興味のある問題であらう、憾むらくは私は今それ程の餘裕を有せない、只大體から見れば、先生の重點は西洋文化の地面に落ちてゐた、併し隨分幅廣く股を開いて、東洋文化の地面をも蹈んでゐられた、先生は西洋文化の眼を以て東洋文化を觀察して、彼を我に移して、我の足らざる所を、補はうとしてゐられた、先生は此意味に於いて種子を蒔いた人である、併し其苗は苗の儘でゐる、存外生長しない、それは二本足の學者でなくては先生の後繼者となることが出來ないからである、その二本足の學者が容易に出て來ないからである、そして世間では一本足同士が、相變らず葛藤を起したり、衝突し合つたりしてゐる、の読み方
森林太郎 「鼎軒先生」

...八私は之で私の親しい又尊敬する幾多の紙友に就いて語つた...   八私は之で私の親しい又尊敬する幾多の紙友に就いて語つたの読み方
柳宗悦 「和紙十年」

...二人を尊敬するようになつた...   二人を尊敬するようになつたの読み方
ジャック・ロンドン Jack London 山本政喜訳 「荒野の呼び声」

...将軍の武勇を尊敬するものです...   将軍の武勇を尊敬するものですの読み方
吉川英治 「三国志」

...尊敬する気にはなれないし...   尊敬する気にはなれないしの読み方
吉川英治 「※[#「さんずい+鼾のへん」、第4水準2-79-37]かみ浪人」

「尊敬する」の書き方・書き順

いろんなフォントで「尊敬する」

「尊敬する」の英語の意味


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