...南側には紫宸殿(ししんでん)の後ろ側の板戸がありました...
石原純 「アインシュタイン教授をわが国に迎えて」
...浅草の観音堂のような紫宸殿(ししいでん)の甍(いらか)が聳え...
谷崎潤一郎 「少年」
...また懐徳堂には霊元上皇宸筆(しんぴつ)の勅額あり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...將た板垣伯が乖謬無名の辭表を天に捧げて宸襟を煩はし奉りたる際にも此の一侯一子が閣僚として曾て板垣伯に善を責むるの道を盡さず...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...自分は又近衞公爵家に藏せられる百四十餘通の孝明天皇の宸翰を拜見したことがある...
内藤湖南 「維新史の資料に就て」
...それに天皇の宸筆にて奧書せられし所と...
内藤湖南 「日本の肖像畫と鎌倉時代」
...紫宸殿(ししんでん)の前庭に“かんなり陣”をしいて...
吉川英治 「折々の記」
...何をそのようにご宸念(しんねん)を傷めておいで遊ばしますか」「朕(ちん)の行く末は案じぬが...
吉川英治 「三国志」
...宸襟(しんきん)を悩まし給うには及びませぬ」と云い...
吉川英治 「三国志」
...――かならずご宸念(しんねん)をお煩(わずら)わし遊ばしますな」と...
吉川英治 「三国志」
...みな宸襟(しんきん)を悩まし奉るものである...
吉川英治 「新書太閤記」
...御宸襟(ごしんきん)をなやまし奉りました罪...
吉川英治 「新書太閤記」
...御宸襟(ごしんきん)をなやまし奉る...
吉川英治 「新書太閤記」
...朝廷のご宸襟(しんきん)をも泰(やす)んじ奉る唯一の道であると固く正義づけての上の信念であった...
吉川英治 「源頼朝」
...しかし伝宸翰本では八日と十五日の間に「十日のほど」の描写を挿む...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...伝宸翰本のごとく一個所にまとめられることは...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...もっとも自分は伝宸翰本において個々の項目の間に内的連絡のある並べ方を見いだし...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...宸翰本等におけるそれよりもはるかに興趣に富むことを指摘せられたが...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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