...仙台藩は宝暦年間には日本最大の藩となっていました...
...宝暦七年から十二年に至る間に五回にわたって...
石原純 「平賀源内」
...貞観よりも古い天武天皇時代から宝暦四年までに十余例が挙げられている...
寺田寅彦 「颱風雑俎」
...これ実に宝暦、明和の際における社会の情態なりとす...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...これ実に宝暦、明和の際における天下の大勢なりとす...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...近くは宝暦(ほうれき)初年西村重長(にしむらしげなが)の『江戸土産(えどみやげ)』及び明和(めいわ)に入りて鈴木春信が『続江戸土産』の梓行(しこう)あるに過ぎざりしが...
永井荷風 「江戸芸術論」
...今それら宝暦(ほうれき)以前の浮世絵に現はれたる役者絵を以てこれを演劇の歴史に対照せしめんか...
永井荷風 「江戸芸術論」
...寛保の末年浮世絵は西村重長(奥村政信門人)の工夫によりて初めて純然たる彩色板刻(さいしきはんこく)(二色板紅絵)の法を発明し宝暦に入りてその技(ぎ)益進歩せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...かかる大板の浮絵は宝暦に入りて鳥居清満が紅絵を最後とし色摺(いろずり)錦絵出(いづ)ると共に暫(しばら)く杜絶(とぜつ)せしが安永に及び歌川豊春の浮絵となりて更にその流行を増しぬ...
永井荷風 「江戸芸術論」
...これらの連中からわざと遠廻りをして社の裏へ出て、暫く様子をうかがっていると、「エエ、宝暦十二年、壬午(じんご)夏四月、山県昌謹撰とあるが、宝暦十二年は、いったい今から何年の昔になるのじゃ」「左様な、宝暦は俊明院殿の時代で、ええと、今からおよそ、一百三年、或いは四年前に当る――」こんなことを言って風流人は、紙に巻いたものを携え、ゾロゾロ松林の中を出て行ってしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...それは宝暦八年十二月のことです」奇談クラブの話し手遠藤盛近は...
野村胡堂 「奇談クラブ〔戦後版〕」
...日本にも貞観(じょうかん)年間に京で箸を売って居た老人が、齢(よわい)数百歳であったらしいとか、宝暦年間、若狭の国の白比丘尼が、東国の高崎の比丘尼と、五百七、八十年間の源平時代の話をして来たとか、この種の例は沢山あります...
野村胡堂 「新奇談クラブ」
...宝暦(ほうれき)二年...
久生十蘭 「平賀源内捕物帳」
...この事は今から二百十五年前の享保十三年〔一七二八〕に『本草綱目補物品目録』(出版は宝暦二年)で...
牧野富太郎 「植物記」
...宝暦十二年二十八歳となる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...是も宝暦年間(一七五一)の『倉橋風土記』に...
柳田国男 「海上の道」
...宝暦六年に竹内式部が譴責(けんせき)され...
山本周五郎 「菊屋敷」
...宝暦頃の人である...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...年増となっても、よしや引手茶屋の店先に自分の子供をあそばせておいても、人気に廃(すた)りはなかったが、やがて、宝暦の何年かに、世阿弥は阿波へ去ってしまった...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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