...川島の名は粛親王(しゅくしんのう)の姻親として復辟(ふくへき)派の日本人の巨頭として嵎(ぐう)を負うの虎の如くに今でも恐れられておる...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...病人(びやうにん)の枕元(まくらもと)に居(ゐ)た近所(きんじよ)の者(もの)は一杯(ぱい)の茶(ちや)を啜(すゝ)つて村(むら)の姻戚(みより)へ知(し)らせに出(で)るものもあつた...
長塚節 「土」
...勘次(かんじ)はどうも卯平(うへい)が厭(いや)で且(か)つ怖(おそ)ろしくつて仕(し)やうがないので少(すこ)し身體(からだ)が恢復(くわいふく)しかけると皆(みんな)が田(た)へ出(で)た後(あと)でそつと拔(ぬ)けて村(むら)の中(うち)の姻戚(みより)の處(ところ)へ行(い)つて板藏(いたぐら)の二階(かい)へ隱(かく)れて寢(ね)て居(ゐ)た...
長塚節 「土」
...不結果な婚姻(こんいん)の罪をなんで着せたか――明治中期は封建的遺産を多分に保つてゐた...
長谷川時雨 「「郭子儀」異變」
...今川五郎氏親は中御門家と姻戚の好を結び...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...男女婚姻して一家に同居し...
福沢諭吉 「女大学評論」
...山陽の二子支峰(しほう)の孫久一郎さんの姻戚熊谷兼行(かねゆき)さんが住んでゐるから...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...其婚姻がしかも成後未だ久しきを経なかつた証をも見出したのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...霞亭が「歳癸酉、遊備後」の後、東徙に至るまでには、其婚姻があつて、これがために東徙は「将孥東徙」となつたのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...婚姻制の基礎といふのがそれであるが...
柳田國男 「家を持つといふこと」
...自然に武家風の輿入婚姻法を...
柳田國男 「瀬戸内海の島々」
...是はまったく一般の経済事情に伴なう婚姻制の変化...
柳田国男 「木綿以前の事」
...「礼儀を尽したわが婚姻の使者を捕えて...
吉川英治 「三国志」
...予はただご辺が袁術(えんじゅつ)と婚姻を結ぶと聞いて...
吉川英治 「三国志」
...お弟子の兼如(けんにょ)と御姻戚(ごいんせき)の里村昌叱(しょうしつ)どのを加え...
吉川英治 「新書太閤記」
...この婚姻政策は、小牧戦にも、重大な効力をあらわした...
吉川英治 「新書太閤記」
...君主の娘をはじめ多くの貴族の娘が洗礼を受けてスペインの将校と婚姻を結んだ...
和辻哲郎 「鎖国」
...平戸の領主の姻戚である武士が...
和辻哲郎 「鎖国」
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