...「奎堂」が誰であるかも知らない幸子は...
谷崎潤一郎 「細雪」
...顧みて山縣侯の系統を見よ、現内閣に於ては、清浦奎吾、曾禰荒助、桂太郎の三氏固より侯の直參たり荒川顯正子の如きは、世人或は伊藤系統に屬するものなりと想像するものあれども、子は夙に山縣侯の推挽によりて漸く顯要の位地を占めたる人なるを以て、若し兩侯兩立せざるの時あらば、子恐らくは、伊藤侯に背くも山縣侯に背く能はず青木周藏子の傲岸不遜は、伊藤侯にも井上伯にも忌まるれど、獨り山縣侯は善く之れを容れ、第一次の内閣にも外務大臣の椅子を與へ、今の第二次内閣にも又子を外務大臣と爲す故に子は深く侯を徳として其腹心なるを甘むず...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...夜小川氏松戸市傳染病研究所勤務醫學博士近藤奎三氏を伴來りて病を診察す...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...松本奎堂(けいどう)らの浪士と一緒になってまた大和の国へ逆戻りをして来たものです...
中里介山 「大菩薩峠」
...あの喧嘩の一幕を納めた松本奎堂の意気が面白い...
中里介山 「大菩薩峠」
...「猟師はどこへ行った」「逃げたかな」「逃げたようじゃ、逃げて訴人(そにん)でもしおると大事じゃ」「いいや、訴人したとて恐るるに足らん、藤堂の番所までは六里もあるだろう、ゆるゆる腹を拵(こしら)えて出立する暇は充分」「よし十人二十人の討手が向うたからとて、かくの如く兵糧(ひょうろう)さえ充分なら、何の怖るることはない」「とかく戦(いくさ)というものは、腹が減ってはいかん」「古いけれども、それが動かざる道理」「それにしても、中山侍従殿には首尾よく目的のところへお落ちなされたかな」「こころもとないことじゃ」「十津川を脱(ぬ)けて、あの釈迦(しゃか)ヶ岳(たけ)の裏手から間道(かんどう)を通り、吉野川の上流にあたる和田村というに泊ったのが十九日の夜であった」「その通り」「中山殿はじめ、松本奎堂、藤本鉄石、吉村寅太郎の領袖(りょうしゅう)は、あれから宿駕籠(しゅくかご)で鷲家(わしや)村まで行った、それから伊勢路へ走ると先触れを出しておいて、不意に浪花(なにわ)へ行く策略であったがな」「彦根の間者が早くもそれと嗅(か)ぎつけて、大軍でおっ取り囲んだ――吉村殿と、安積(あづみ)五郎殿が一手を指揮して後方の敵に向うている間に、藤本、松本の両総裁が前面の敵を斬り開いて、中山卿を守護してあの場を落ち延びたが、さて危ないことであった」「そこを落ち延びると、忽(たちま)ち紀州勢が現われて藤本殿はあわれ斬死(きりじに)じゃ...
中里介山 「大菩薩峠」
...風は堅硬な岩の奎角に切り裂かれて...
中村清太郎 「ある偃松の独白」
...金澤町の奎庵(けいあん)といふ五十年輩の坊主頭でした...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「奎庵先生、これはどうしたことでせう...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...字奎輔...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...奎輔得疾...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...書肆は銀座三丁目奎章閣(けいしやうかく)山城屋政吉に候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「矢島先生奎吾(けいご)」と書した尺牘(せきどく)数通(すつう)が遺(のこ)っている...
森鴎外 「渋江抽斎」
...木戸松菊や清浦奎堂にしろ...
吉川英治 「折々の記」
...黄奎をもてなした...
吉川英治 「三国志」
...すると黄奎は、その卑怯を叱るように眦(まなじり)をあげ唇をかんで、「自分の父の黄(こうえん)は、むかし李(りかく)郭(かくし)が乱をなした時、禁門を守護して果てた忠臣です...
吉川英治 「三国志」
...黄奎は聞くと、膝を打って、「ほかならぬ将軍のこと...
吉川英治 「三国志」
...心がらが良くないので叔父の黄奎が承知してくれない...
吉川英治 「三国志」
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