...ただ微風に戦(そよ)いでいる夾竹桃の植込みが...
芥川龍之介 「影」
...人間的誤謬(ごびゅう)の夾雑物(きょうざつぶつ)が少くない...
W・S・モーゼス William Stainton Moses 浅野和三郎訳 「霊訓」
...月は夾鐘に踵(あた)り三...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...奈良朝は夾紵、塑造、鋳金の黄金時代であるが、この行信僧都像の如きも漆と麻布と木屑の扱いが甚(はなは)だ鄭重であり、その上内部の空胴には木組の支柱が巧妙に施されている...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...二日、壬、陰、筑後左衛門尉朝重、義盛の近隣に在り、而るに義盛の館に軍兵競ひ集る、其粧を見、其音を聞きて戎服を備へ、使者を発して事の由を前大膳大夫に告ぐ、時に件の朝臣、賓客座に在りて、杯酒方に酣なり、亭主之を聞き、独り座を起ちて御所に奔り参ず、次に三浦平六左衛門尉義村、同弟九郎右衛門尉胤義等、始めは義盛と一諾を成し、北門を警固す可きの由、同心の起請文を書き乍ら、後には之を改変せしめ、兄弟各相議りて云ふ、早く先非を飜し、彼の内議の趣を告げ申す可しと、後悔に及びて、則ち相州御亭に参入し、義盛已に出軍の由を申す、時に相州囲碁の会有りて、此事を聞くと雖も、敢て以て驚動の気無く、心静に目算を加ふるの後起座し、折烏帽子を立烏帽子に改め、水干を装束きて幕府に参り給ふ、御所に於て敢て警衛の備無し、然れども両客の告に依りて、尼御台所並びに御台所等営中を去り、北の御門を出で、鶴岳の別当坊に渡御と云々、申刻、和田左衛門尉義盛、伴党を率ゐて、忽ち将軍の幕下を襲ふ、百五十の軍勢を三手に相分け、先づ幕府の南門並びに相州の御第、西北の両門を囲む、相州幕府に候せらると雖も、留守の壮士等義勢有りて、各夾板を切り、其隙を以て矢石の路と為して攻戦す、義兵多く以て傷死す、次に広元朝臣亭に、酒客座に在り、未だ去らざる砌に、義盛の大軍競ひ到りて、門前に進む、其名字を知らずと雖も、已に矢を発ちて攻め戦ふ、酉剋、賊徒遂に幕府の四面を囲み、旗を靡かし箭を飛ばす、朝夷名三郎義秀、惣門を敗り、南庭に乱れ入り、籠る所の御家人等を攻め撃ち、剰へ火を御所に放ち、郭内室屋一宇を残さず焼亡す、之に依りて将軍家、右大将軍家の法花堂に入御、火災を遁れ給ふ可きの故なり、相州、大官令御共に候せらる、凡そ義盛啻に大威を摂するのみに匪ず、其士率一以て千に当り、天地震怒して相戦ふ、今日の暮より終夜に及び、星を見るも未だ已まず、匠作全く彼の武勇を怖畏せず、且は身命を棄て、且は健士を勧めて、調禦するの間、暁更に臨みて、義盛漸く兵尽き箭窮まり、疲馬に策ちて、前浜辺に遁れ退く...
太宰治 「右大臣実朝」
...三本の夾竹桃(きょうちくとう)にふらふら心をひかれた...
太宰治 「めくら草紙」
...そうして、あとは奥さまとことし十六になる娘さんとふたりきりで、夾竹桃のことは、かえって恐縮であって、どれでもお気に召したものを、とおっしゃった...
太宰治 「めくら草紙」
...――百雑砕――燃ゆる陽を浴びて夾竹桃のうつくしさ...
種田山頭火 「行乞記」
...・涼しい風人形がころげる・泳ぎつかれてみんな水瓜をかゝえ・夾竹桃...
種田山頭火 「行乞記」
...ほかの夾雑物が多過ぎるのである...
十返肇 「日本推理小説の曲り角」
...単にヘーゲルの弁証法を観念論的な夾雑物から純化したに過ぎないと云ってもいいかも知れない...
戸坂潤 「辞典」
...室の窓から夾竹桃の梢越しに...
豊島与志雄 「反抗」
...夾竹桃の花を叩き落して...
中島敦 「環礁」
...夾竹桃(きょうちくとう)...
中島敦 「光と風と夢」
...生活の残渣(ざんさ)や夾雑物(きょうざつぶつ)を掃出して呉れる何かが起るに違いないという欣(よろこ)ばしい予感に...
中島敦 「光と風と夢」
...草夾竹桃(くさけふちくたう)の花(はな)がもさ/\と茂(しげ)つた儘(まま)向日葵(ひまわり)の側(そば)に列(れつ)をなして居(ゐ)る「能(よ)くまあかういに作(つく)つたつけな...
長塚節 「土」
...音楽を夾雑音(きょうざつおん)のうちに聴くことを得意とする...
長谷川時雨 「明治大正美女追憶」
...「通名御柳寛保年中夾竹桃ト同時ニ始テ渡ル甚活シ易シ其葉扁柏ノ如ニシテ細砕柔嫩々トシテ下垂ス夏月穂ヲ出ス淡紅色草花ノ如シ秋ニ至リ再ビ花サク本邦ニ来ルモノ一年両度花サク唐山ニハ三度花サクモノモアリ故ニ三春柳ノ名アリ云々」と叙してあって...
牧野富太郎 「植物一日一題」
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