...平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より寿永に、寿永より元暦に、天暦より文治に、円石を万仞の峰頭より転ずるが如く、刻々亡滅の深淵に向つて走りたりき...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...元の天暦年間のことであった...
田中貢太郎 「申陽洞記」
...昔から日本で名君と言はれた天皇方は延喜、天暦、寛弘、延久即ち醍醐天皇、村上天皇、一條天皇、後三條天皇といふやうなお方であつて、同時に此のお方々はいづれも宏才博覽に諸道をもしらせられたといふことを言つて居るが、後三條以後には後宇多天皇ほどの御才は聞えさせ給はずと申して居ります、そして後宇多天皇の學問並に佛教の造詣の深く入らせられた事に就て委しく述べて居ります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...延喜天暦の頃の才媛にも悪女が多い...
中里介山 「大菩薩峠」
...今より千年の昔は――さよう――延喜(えんぎ)天暦(てんりゃく)の頃になり申すかな」「ははあ」と金茶金十郎が感心して...
中里介山 「大菩薩峠」
...遷都後天暦までと限りませう...
森鴎外 「假名遣意見」
...天暦まで即ち十世紀頃であります...
森鴎外 「假名遣意見」
...「寛平三年正月十三日、藤原基経歿す」とその頁には忌日もあった、新暦なら季節も丁度今ごろで父の忌日より十日先だと矢代は思い、なお基経のむすめの穏子の方の忌日も調べてみると、これも天暦八年、正月四日となっていた...
横光利一 「旅愁」
...天暦(てんりゃく)の古制に還(かえ)して...
吉川英治 「私本太平記」
...天暦(てんりゃく)の制に復古する以上...
吉川英治 「私本太平記」
...天暦(てんりゃく)いらい荒廃のままとなっている大内裏(だいだいり)造営の議が決まって...
吉川英治 「私本太平記」
...天暦(てんりゃく)のむかしに回(かえ)すというご理想も...
吉川英治 「私本太平記」
...延喜(えんぎ)天暦(てんりゃく)のむかしの比ではありませぬ」「なにが...
吉川英治 「私本太平記」
...三例を拾ってみれば――=朱雀帝ノ天暦(テンリヤク)元年...
吉川英治 「平の将門」
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