...人の歓呼すら荘大高妙を極むることあるに...
内村鑑三 「ヨブ記講演」
...赤垣源蔵(あかがきげんぞう)は一升徳利に美談を残し大高源吾(おおたかげんご)は煙草入の筒に風流を伝う...
永井荷風 「偏奇館漫録」
...大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……幾多(あまた)々々の孤児の手は...
中原中也 「在りし日の歌」
......
正岡子規 「俳人蕪村」
...大高城は、尾張本国と知多半島との咽喉にあった...
吉川英治 「新書太閤記」
...すると、一人、「僭越ですが、私をおつかわし下されば、来年の御上洛まで、持ち支えるよう、大高表の儀、仕すまして参りますが」と、云い出た者がある...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高へ攻めかかって...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高の孤城へ兵糧(ひょうろう)を送り入れよとの命をうけて...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高近し! ――と...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高の城が近づくと同時に...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高源吾などの鎮撫(ちんぶ)の使者に...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...内蔵助からも、一二度足を運んでおる』『小野寺、中村、潮田などの連中は、玄渓の家で密会しているのじゃないか』『それもあろうが、近頃は、洛北の瑞光院(ずいこういん)の境内にある拾翠庵(しゅうすいあん)を借りうけて、歌俳諧(うたはいかい)の集まりのように見せかけ、時折、そこで評議をしているらしい』『拾翠庵――あの浅野稲荷(いなり)の隣地だな』『そうだ、浅野家の祖先が、稲荷を祠(まつ)り、寺領も寄附しておるので、浅野稲荷とよんでおる、あのすぐ側だから、会合のある折は、稲荷詣りを装ってゆけば近づけよう』『近いうちに、集まりのある様子はないか』『先月中旬、大高源吾と、原惣右衛門の二人が、江戸表を立って、途中、伊勢の大廟に参詣し、原は大阪に、大高は京都に、各家を借りて住んでおる...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...大高源吾は、肉のかたく緊(し)まった体を、ずんぐりと重そうにいつも扱っていた...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...よし』大高源吾は...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...大高源吾であった...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...大高源吾や、富森助右衛門は、酒屋の亭主に硯(すずり)を呼んで、何か、俳句らしいものを書きつけている...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...大高新右衛門(おおたかしんえもん)さまがお通りあるわ...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...けれどそれから六年後、内匠頭の兇変(きょうへん)があって、浪士の盟約が密かに結ばれた頃、彼はどこからともなく、のっそりと現われて、大高子葉、潮田(うしおだ)又之丞の二人を介して、義挙(ぎきょ)に加わった...
吉川英治 「※[#「さんずい+鼾のへん」、第4水準2-79-37]かみ浪人」
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