...同五一年ローマで死んだ)はアレキサンドリアで恒星カノプス(Canopus)の最大高度を測って七・五度を得た...
スワンテ・アウグスト・アーレニウス Svante August Arrhenius 寺田寅彦訳 「宇宙の始まり」
...それから大高島まで二里...
田山花袋 「田舎教師」
...大高島に渡る渡船(わたし)の中にかれはいた...
田山花袋 「田舎教師」
...地域の半分が一万五千尺以上もある大高原地帯である...
久生十蘭 「新西遊記」
...蕪村かつて大高源吾より伝わる高麗(こうらい)の茶碗というをもらいたるを...
正岡子規 「俳人蕪村」
...大高源五の句としては...
吉川英治 「折々の記」
...だが、ここでは上杉伊豆の懸命な指揮のもとに、桃井修理、大高伊予、須賀左衛門、三浦介の族権(ぞくごん)ノ九郎らが総力をあげてふせぎに立ち、時にはその一端をやぶられても、たちまち、追ッかけ追ッとりつつんで、からくも、わずかなまを持ちささえていた...
吉川英治 「私本太平記」
...大高を地理的に遮断しているのである...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高城の近況はどうじゃの」「……はッ」水野...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高の兵糧口を固めておろうぞ」と...
吉川英治 「新書太閤記」
...もっとも、そのために、大高が孤立し、幾度の援軍も、兵糧搬入(ひょうろうはんにゅう)も失敗して、元康が選ばれて来たわけであるから、今さら、ここで二の足を踏む理由はないわけだった...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高までの距離はわずか三十町程しかない...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高へ荷駄隊を押し通してしまえばよいに...
吉川英治 「新書太閤記」
...大高城から二十町ほど距(へだた)った街道の横に...
吉川英治 「新書太閤記」
...頑強にもちこたえて来た今川方の大高城が...
吉川英治 「新書太閤記」
...惣右衛門だけでは、まだ、心許なく思ったのか、山科からは、後を追って、更に又、大高源吾と、進藤源四郎の二人が、下って来た...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...大高源吾の浪宅にわらじを脱いでいたが...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...いつぞやの円山(まるやま)会議に顔を見せない欠席者のうちで、内蔵助の眼で、これはと思う人々へは、こちらから血判を持って行って返して歩くように――と、これは勿論、内蔵助の深謀で、大高、貝賀の二人が命じられて、毎日戸別訪問して来たのであるが、その結果、(なるほど、さすがは大石殿、よく観ておられた)と二人は、内蔵助の緻密(ちみつ)な用意が、二重底か三重底か、迚(とて)も自分たちには測りきれない気がした...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
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