...大沢の池の堤の上へもちょっと上って見て、大覚寺、清涼寺(せいりょうじ)、天竜寺の門の前を通って、今年もまた渡月橋(とげつきょう)の袂へ来た...
谷崎潤一郎 「細雪」
...ついに全く大覚寺統のおん末(すえ)の絶えさせられたのが長禄(ちょうろく)元年十二月であるから...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...大覚寺門跡(もんぜき)内六物(ろくぶつ)空万(くうまん)...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...谷中(やなか)の大覚寺への葬列は...
野村胡堂 「胡堂百話」
...会場は峠を下りきった所にある板敷山の大覚寺の本堂...
服部之総 「加波山」
...大覚寺では八間四面のりっぱな本堂に八十人ほど...
服部之総 「加波山」
...大覚寺派とは、何か...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐は、大覚寺統である...
吉川英治 「私本太平記」
...帝位を離れた大覚寺統には党臣の拠(よ)る財源もない...
吉川英治 「私本太平記」
...大覚寺派の両方から“かわりばんこ”に皇太子を立て...
吉川英治 「私本太平記」
...大覚寺統にとっては...
吉川英治 「私本太平記」
...これがまた大覚寺の後宇多上皇の御気色にさわり...
吉川英治 「私本太平記」
...大覚寺統の後宇多の御子(みこ)...
吉川英治 「私本太平記」
...持明院統には、後伏見、花園の二上皇があり、大覚寺統にも、後宇多、後二条の両院が在(いま)すといったふうに...
吉川英治 「私本太平記」
...としている後醍醐中心の“大覚寺統”一派にあるのみで...
吉川英治 「私本太平記」
...大覚寺派への敵愾心やら蔭口のなかで人となり...
吉川英治 「私本太平記」
...いわゆる大覚寺統の――後醍醐方の公卿と忌(い)まれて――逼塞(ひっそく)していた公卿ばらも...
吉川英治 「私本太平記」
...――持明院統と、大覚寺統と、相互から出て交代に御位(みくらい)に即(つ)く――という、あの皇室の御法則を正しく践(ふ)むべきだと思うのです...
吉川英治 「私本太平記」
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